オススメして頂いて、リディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』を読んだ。
短編小説に、自分の気持ちとよく似たものがあった。
この前、買ったばかりの腕時計を失くした。
そんな日の夜は、今まで私が失くしてきたものについて考える。
指輪、ぬいぐるみ、絵本、ピアス(もう開いてないけど)、帽子、お財布、拾ってきた子猫。
大きなものから、小さなものまで、あげたら切りがない。
失くしたことさえ忘れてしまっているものも、きっと、沢山あるはずだ。
私は小さい頃から、探す、という作業が大の苦手だった。
場面、場面を思い返してみても、
大抵、半ベソをかいているか、泣いているかの、どちらかだ。
不思議なのは、大切にしていなかったものに対しても涙を流せること。
失くしてしまったものは、今、私の手元にないだけで、消えてしまったわけじゃない。
この世界の、どこか別の場所にある。
誰かのものになっているかもしれないし、なっていないかもしれない。
それでも、何処かにはちゃんとあって、存在している。
「私」の場所に、ないだけで。
この当たり前の真実が悲しくて、私は泣いてしまう。
ものに対してだけじゃない。
これまで出逢って来た人たちにだって、街にだって、そうなのだ。
独占欲、とは、少し違っていて、ただ、悲しくってやりきれない。
人が大切に出来るもの、持てるものの、少なさに、時々打ちのめされてしまう。