映画『アデル、ブルーは熱い色』を観た。
3時間に及ぶ愛憎劇。
多分、分からないけど、いつも、相手を嫌いになったから、さよならを選ぶ訳じゃない。
笑い合っていた昨日と、別れを選択してしまった今日。
お互いが変わってしまった理由を探しても、答えはない。
だって、本当は、出逢った頃と、大きな意味で、何も変わっていないから。
生まれた時からちゃんと知っている、『人は、いつだって寂しい』って気持ち。
だけど、恋をしてしまうと、燃え上がる甘い日々を生きるのに懸命になって、寂しさを一時的に感じなくなってしまう。
でも、ある日。
なんでもない日に、寂しさが私たちを迎えやってくるのだ。
その経験をしたことがある人なら、対処法を心得ている。
慌てずに、ただ、こんにちは、と言えばいい。
寂しさから逃れようとするのは、多分、生きることを放棄することに、少し、似てる。
でも、それがはじめての経験だったら、
どうして、私は好きな人と、一緒にいるのに寂しいの?って。
最初から知っていたはずの、抱き合っても、キスしても、契りを交わしても、結局、相手は他者でしかない諦めに打ちのめされてしまう。
アデルとエマは、一緒に大人になれなかった。
正反対だから惹かれて、正反対だから壊れてしまった。
別れに抗えば、またあの関係を取り戻せる、と信じて疑わないアデルの純粋さが、一足先に大人になったエマと並び、スクリーンに映し出される。
悲しくて、切なくて、情けなかった。
アデルが手に入れたもの。
これからも、沢山恋をして、涙を流すことと、死ぬまで相手との、愛の思い出を抱き続けること。