大人にだったら、無条件に、痛みや、苦しさをぶつけてもいい。
そう思っていた時期がありました。
あの頃は、ただただ、寂しかったのです。
でも、それを素直に伝える事が、私には、どうしても出来ませんでした。
弱さを見せることは、恥ずかしいことだと思っていたからです。
だから、いつも、本当、とは対極な行動をとってしまって、
心と身体が一致しない悲しさと、不便さに、苛まれていました。
小さな炎に、自ら油を注いで、薪をくべていたので、
誰かが鎮火して、灰の中から私の心を拾い上げた時、
君は、ただ寂しい、って言いたいが為に、こんな大火事を起こしていたの?って、
嘲笑われるのが怖くて、また蒔きをくべてしまう右手に私は恐怖さえ覚えていました。
もう、自分でも収拾がつかなくなっていたのだと思います。
そんな私に手を差し伸べてくれたのが、音楽です。
歌っていると、全ての悲しみ、寂しさを忘れられました。
その希望を追いかけて辿り着いた場所。
大人の発する言葉は、記号、として捉えるようにしていました。
記号に、行動と責任が伴って、はじめて、それは、「言葉」になるのです。
何様のつもりだ、って思われるでしょうね。
自分でも、そう思います。
でも、今以上に子供だったし、福岡の高校も中退して後に引けない中で、
自分で選んだ道でも、右も左も分からない東京で頑張っていくしかなかったのです。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、田舎から出てきたばかりの16才なりの、精一杯の生きる術だったと思います。
それでも、逆らって歩いたら居場所がない、から、笑ってみせたり。
それに気づかずに通り過ぎていく大人たちもいたけど、
ちゃんと分かってくれる人にも出逢えました。
だからこそ、デビューして2周年を迎えることが出来たのです。
たった2年なのか、もう2年なのか。
どちらの意見も、きっと、正しいです。
私は永遠を信じていません。
だから、いつも音楽が離れていってしまわないか恐かったです。
でも、思いました。
ずっと、ずっと、続く、『今』、はないのです。『現実』が続きます。
今、こんな私の事を支え、そばにいてくれる人達がいること自体が奇跡なのです。
このまま、ずっと、誰ひとりかけずに、同じ方を目指しながら生きていく可能性は、少ないかもしれません。
前進します、私は。
型になんて、はまりたくありませんし、縛られたくも、ありませんし、自分の価値は自分で決めます。
でも、この瞬間関わっている人達の発言、生き方、考え方が、未来の私に影響を与えているのは確かな事です。
そして、何度も、何度でも、帰ってくる場所なのだと思います。
打ちのめされたり、傷付くたびに、私は、今この瞬間に帰ってきます。
だから、永遠はちゃんと存在するのです。
私は、皆さんを、愛しています。
欲しかった訳じゃなく、禁じられたから手を出す、そんな、生き方に戻りたくありません。
私は音楽が大好きです。
見たい景色が沢山あります。
そこに、皆さんと一緒に行きたいです。
これからも、よろしくお願いします。