泣く、という行為が、時々、よく、分からなくなります。


何故、人は涙を流すのか、って、

それは、大抵が、悲しみや情念からだと思うのです。


勿論、喜びに声を上げて泣くこともあるでしょうが、

やっぱり、人生って、辛いから生きていける部分があるのかな、って。


読んだ本や、観た映画に、

すぐに感化され、信頼し、自分と都合よく重ねてしまう、18才の小娘は、思うからです。


「泣く」=「涙」は、

「私は、今、悲しい」ってことを、1番正確に、伝えられます。


でも、それは、無意識の領域の中で、

純粋に「悲しい」と感じ、涙が流れて来た、という、

自然な流れだからこそ、相手に、「何か」を訴えかけることが出来る、神聖な、ものなのです。


泣くことだけが、悲しみの表現だと思っている訳ではないけど。


でも、「泣くこと」や「涙」を身勝手に利用して、

自分の有利な方向に持って行こうとする人たちを見ていると、


本当に、本当に、悲しい、のに、

泣けなくて、涙が流せなくて、誤解されてしまう人たちは、どうしたらいいのだろうと、やりきれなくなります。


「君は強いから。」


「無理して合わせられても。」


「想像と違った。」


目で見たものだけを、信じてしまう人は、ナンセンスです。


相手が言った言葉だけで、相手を知った気でいる人も、ナンセンスです。


そして、


読み終わったばかりの小説に、こんなに感化されてしまっている私も、また、ナンセンスなのです。