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太宰治の「走れメロス」。


純文学をこれまで、自ら進んで読むことはあまりなかったのですが、

やっぱり、美しい日本語は歴史の上に存在するはずだ、と思い手に取りました。


に、しても、「純文学」と聞くだけで尻込みしてしまう気持ちがあったので、

聞いたことのある著者から、と最初に手に取ったのが宮沢賢治。


(なんて、浅はかな動機。。。)


初心者ながら、言葉の美しさに感銘を受けて、

最近は、現代文学から、少し遠ざかりつつあります。(両方好きだけど。)


そして、「走れメロス」。


全9編のお話が綴られている中の

「ダス・ゲマイネ」や「女生徒」に、共鳴しましたが、

小学生の時に学校で習った「走れメロス」は、あの頃とは、また違った感情を抱きました。


最後のシーンで、メロスがセリヌティウスに

「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度悪い夢を見た。

君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」

と言い、セリヌティウスは、メロスを殴ります。


そして、セリヌティウスも、同じようなことを言い、メロスに頬を殴られます。


その後、「ありがとう、友よ」と、

二人は同時に言い、ひしと抱き合い、嬉し泣きし、

暴君ディオニス(王)は、顔をあからめて、仲間に入れて欲しい、と頼みます。


でも、もし、「一度も私は相手のことを疑わなかった」、とメロスが言ったなら、

王は、一生誰のことも信じることが出来ずにいたと思うのです。


人は私を含めて、とても、弱い。


でも、弱いことは恥じる事なんかじゃなくて、

弱いことを隠そうとすることが恥ずかしいんだと、感じました。


バタバタすると、なかなかゆっくりと本を読む時間がなくなってしまうので、

ひとつひとつ、噛みしめながら、読みたいと思います。