1575年に日本史上重要な戦(いくさ)がありました。長篠の戦(たたか)いです。

当時最強であった武田の騎馬軍団を、織田・徳川の連合軍が、約3000梃(ちょう)の火縄銃を三段構えにして連続射撃し、撃ち破ったのです。

これは、鉄砲を組織的に使用する世界初の戦でした。

ヨーロッパにおいて、鉄砲を使用した戦が行われたのは、長篠の戦から41年後(1616年)のかの宗教戦争でした。

その宗教戦争の2年前(1614年)日本において、大坂夏の陣がありましたが、徳川軍が装備した鉄砲は、10万梃でした。

新開発の大筒(おおづつ=大砲)までも備える徳川軍は、豊臣軍を打ち負かし、豊臣氏を滅ぼしてしまいました。

当時これ程の火器を所有する国は世界において日本だけでした。

なお鉄砲伝来から1年足らずで国産化に成功し、大量生産を始めたのは、日本だけです。インドやアラブ諸国では、国産化されませんでした。

隣の中国の(ヨーロッパ式銃の)国産化も日本より遅かったらしい。

ヨーロッパ諸国としては、負ける戦はしたくないでしょう。つまり植民地化など不可能だったのです。

下って江戸時代末期。平和ボケした日本は防衛軍備が疎かになり、欧米諸国と屈辱的な不平等条約を結ぶことになります。

とはいえ薩英戦争において、終戦後生麦事件における殺人罪としての賠償金を支払ったとはいえ、日本国ではなく一地方藩である薩摩の軍隊が、苦戦の末大英帝国軍を追い払ったおかげで、ヨーロッパ諸国に日本侵略を踏みとどまらせたのです。

なおその殺人犯については、逃亡したとして、引き渡しはなされていません。⚓✨





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