私が小学校にあがる前、日本はすでに高度成長時代でした。
当時のわが郷里東京は建設ラッシュ。
メガロポリスのあちこちに、機械化された工法によって、ビルが建てられました。
しかし、一般の住宅はまだ、昔ながらのやりかたで施工されました。
ある日、美輪あきひろさんの歌の題材にもなった「よいとまけのうた」の風景を、わが下町のある店舗の建て替え工事の現場に見ました。
男女の作業員が輪になって「おかあちゃんのためならえんやこら こどものためならえんやこら」などと唄って呼吸を合わせ、それぞれの手の綱を引き、地面を固めていました。
運搬作業には天秤棒が使われました。
二人の作業員が棒の両端に分かれ、肩を入れて、モッコと呼ばれる網を担ぎ上げ、石コロなどを運んでいました。
そんなある日、荒川の堤の傍らの道路にて、藍染の腹掛と股引(ももひき)を着けたスリムなおじさんが、天秤棒を肩にして、その両端に沢山のガラスの風鈴をぶら下げて、目の前を通り過ぎ、足を速めてシャンシャンと風鈴を鳴らしながら道路の向こう側に渡り、去っていきました。
棒の両端が上下に動くのに合わせて、いろんな柄の風鈴が、チリチリとそれぞれの音(ね)を響かせて、きらきらと揺れながら離れていきます。
束の間のことでしたが、その光景は幼い胸に深く刻まれました。
リヤカーの風鈴屋は何度か目にしましたが、天秤棒のそれは最初で最後でした。
人力車などと違って、採算があわないそんな商売が、復活することはないでしょう。
遠い日の華麗な「天秤棒の風鈴屋」を、みんなに見せたいと思う私なのでした。
ちりちりと風鈴売りのうねり来て過ぎたるのちも久しく鳴りぬ をさむ🎐