奴隷として開拓時代のアメリカの土を踏んだ黒人たちは、主に南部の農園の労働に従事させられました。

農園の一日の仕事を終え、宿舎に戻った彼等は、歌を歌って悲しみを拭いました。

彼等は白人から聞き覚えた歌に、自らの音階を重ねて歌いました。

ときには即興の詩を、そのクロスオーバーされた音階を使ってシャウトしました。

こうしてブルーノート音階とブルースが誕生するのです。

やがてニューオリンズにそのブルースを基本とするジャズが誕生します。

黒人達はそのニューオリンズジャズを葬式の行進曲に使用しました。

1900年代ますますジャズは発展します。当時のミュージシャンに、バディ・ボールデン、キング・オリヴァー、キッド・オリー、ジェリー・ロール・モートン達がいます。そんな中サッチモことルイアームストロングが誕生します。

ジャズはミシシッピー河を北上し、さまざまな街に広まっていきました。

そのころシカゴにはフランス系黒人がいました。

中産階級の彼等は学問を身につけていました。彼等はジャズを音楽理論に基づいて演奏しました。

そんな環境が、デュークエリントンを誕生させるのです。

彼はスイングジャズの為の16人編成のオーケストラを開発します。今日では(余すところなく)そのように編成された楽団をフルバンドといいます。

やがてジャズはアメリカの代表的な音楽になります。

アメリカ中のラジオやクラブ・ダンスホールからスイングジャズが流れました。そしてビリーホリデイ、レスターヤングなど数々のスターが誕生します。

スイングジャズが(歌い手のバックバンドなどを含む)ダンスミュージックとして発展していく中、それにあきたらないアーティスト達がビバップ運動を起こし、それによってモダンジャズが誕生します。

ジャズは躍る音楽から聴く音楽へと進化するのです。

モダンジャズは初めコンボバンドによって、つまりスリーリズム(ピアノ・ベース・ドラム)をバックにリードプレーヤーがソロをするという形式で、なされました。

そんなモダンジャズのアメリカ音楽界は、チャーリーパーカー・ウイントンケリー・マイルスデイビス・コルトレーンなど多くのビッグアーティストを輩出し、世界の音楽界を牽引していきました。

やがてモダンジャズはクールジャズ・ファンキージャズ・ラテンジャズ・フリージャズ・フュージョン(ロックもジャズの分派といえるかもしれません)などを生み出し、現在に至ります。



編曲の終はらぬ朝や去年(こぞ)今年 をさむ