あのとき私は中学校2年生、いや3年生だったかもしれません。

国語のテストの答案用紙を配り、先生がいいました、「書き終えた者は裏に詩を書きなさい」と。

中学時代の私は、複雑な家庭環境に神経がおかしくなっていて、講義などほとんど聞かず、まったく勉強をしなかったから、成績順位はビリに近いところにありました。

当然、作詩などという能力を、備えていません。

私は、いいかげんにテストを終わらせ、裏返した用紙に、心に浮ぶ風景をそのままワードにして、列べていきました。

その内容はほとんど覚えていませんが、「春風に柳が揺れる その下を小川の水が走ってゆく」というような単純なものです。

美しい、寂しい、好き、などという類の形容詞はいっさい使っていません。それがよかったのかもしれません。

後の国語の授業の冒頭、先生が、詩の才能があるから詩人になったらいいと言ってくれました。

そしてペンネームは私自身の姓の読みを逆さまにすればいいなどと、アドバイスもくれました。

今思えば、落ちこぼれの私が文学的な意味で、先生に認められたのだから、私にとっては大きな事件です。あるいはクラスのみんなも、そんな分不相応の事件に、衝撃を受けたかもしれません。

でも私はあまり嬉しくなかった。その先生は「誰々は器量良しですね」などといって、女子生徒の手を握ったりする人だからです。

彼が尊敬できる人物ならば、詩作に取り組んでいたでしょうか。いいえ、その頃の私は、自ら決断して行動を起こすほど、積極性を持ち合わせていなかったのです。

その後何をするでもなく、大切な時期を無駄に過ごしました。

あれからずいぶん年を重ね、つたない詩歌をたしなむこのごろ、ふとそんなことを思い出し、少しばかり残念に思う私なのでした。



赤蜻蛉にはかに増えて吾(あ)を囲む家出をなして渡る吊り橋 をさむ