父が他界して正確な場所を知る機会を失いましたが、東京下町のある牛乳販売店に数頭の子犬が生まれました。

いきつけの飲み屋でそれを知り、父はその店に出向いて賢そうな一頭を選んで、貰い受けてきました。

子犬は毛色のままにクロと名付けられ、家族の一員になりました。そして順調に育ち、大柄な穏やかな性格の犬になりました。

クロは一見すると何処かの国の牧用犬のようにみえますが、単なる雑種の犬です。

クロは特に父になつきました。父は夜間高校の教員をしていたので、夜遅く帰宅します。そんな夜毎クロは我々が寝静まった後、父を迎えに行きます。

暗い家路で愛犬が尻尾を振って出迎えてくれることが、父にとってどんなに嬉しいことだったでしょう。

ある日父が何処からかリヤカーを借りて来ました。何処へ何を運んだのかは憶えていませんが、父は荷を乗せたそのリヤカーにクロを繋ぎ、出発しました。

するとクロは鎖が切れんばかりに引っ張っぱり始めたのです。時々父の顔を返り見ながら、尻尾を振って仕事をするクロは、生き生きとしていました。私の乗る三輪車に繋いでも、それを曳こうとはしなかったのに。

父もクロを可愛がりました。今では許されないでしょうが、食堂に入ると一人分多く注文して、テーブルの下でそれをクロに食べさせました。

父は時折五右衛門風呂の洗い場で大きなクロの体をシャンプーして、タオルで拭きました。息子達の体は洗わないけれど。

それまでの我が街では夜間飼い犬を外に放す習慣がありました。しかし世間はそれを批判するようになりました。

そんな時代の変化によって、クロは庭に閉じ込められることになりました。

突然自由を失い、父を迎えに行くことも、縄張りを見回ることも出来なくなった、クロのストレスは大変なものでした。すきを見ては、外へ逃げ出しました。

やがて近所から苦情が寄せられるようになりました。

だからといって、鎖に繋ぐことは出来ません。それを嫌って一晩中鳴き続けるクロの声が、近所への新たな迷惑になるからです。

逃亡したクロを呼ぶと、近くにやってはきますが、捕えようとすると、逃げていきます。それほどクロにとって自由の無い生活は、耐え難いことだったのです。

ある日弟が外出するために木戸を開けたときに、彼の足元をすり抜けて、クロが外へ逃げ出しました。

捕らえるのが難しいことを知っている彼は、距離を置いてついてくるクロを連れて行くことにしました。

ところが途中、保健所の野犬捕獲員に出くわしてしまったのです。

ただならぬものを感じたのでしょう。逃げていけばよかったのに、クロは弟を頼って、寄り添ってきました。

弟はクロの背にまたがりました。それが鎖でつないでいることに等しいと、幼心に思ったらしいのです。

捕獲員は容赦なくクロの首にワイヤーをかけました。

立ち去る保健所の車を見ている幼い弟の青ざめた顔が、想像されます。彼にとってその事件は、一生涯忘れられぬものとなったでしょう。

それ以前にもクロは捕獲されたことがあります。しかし今回父は連れ戻しにいきませんでした。

野生的なクロにこれ以上の不自由をさせるより、安楽死の道を選ばせた方がいいと、判断したのです。

そんなことを決断した後の父の表情は、暗いものでした。

あのとき私はどうしてそれに反対をしなかったのでしょう。幼い胸が痛んでいたのに。

それ以来私は犬を飼っていません。

最近になって、保健所の捕獲犬の殺処分の方法が、安楽とはいえないものであると知りました。胸が痛みますが、今更何もしてあげられません。

せめて我が家にクロと呼ばれる家族が居た事を、心に刻んでおこうと思います。



一匹を犬に放りぬ寒の鮒 をさむ


I threw a crucian carp of midwinter to my dog.  OSAMU