![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200317/03/iegnub2000jps/fe/a0/j/o1080081014729230048.jpg?caw=800)
五才頃まで私はラーメンをガーメンと呼んでいました。そんな呼び方、何処で覚えたのでしょう。
さて私は少時、国道4号線(通称昭和通り)の近くに住んでいました。
その通りの延長に千住新橋があります。荒川放水路にかかる長い橋です。
そんな橋のそばに中華飯店がありました。
台湾か大陸かは忘れましたが、本場の料理人が調理していました。
あっさりしていながら、こくのあるしょうゆ味のスープ。そんなスープに浸る、独特の香りを放つ細めの麺。
小学生の私にもそのレベルの高い味を理解できました。
ところがある日、突然普通のラーメンになってしまったのです。
料理人が国へ帰ってしまったからです。
しかし、しばらくしてもとの味に戻りました。
客足に影響がでたのかもしれません、経営者がその調理人を呼び戻したのです。
複雑な家庭環境にあった私にとって、そんなラーメンを食べることが、数少ない幸せの一つでした。
そしてその味がインプットされている私は、今でもそれに似たラーメンを好んで食べます。
たまたま我が家の近くに、そんな味にやや似たものを出してくれる、高齢のご夫婦が経営する、小さな中華そば屋があります。
今日はもう遅いから、明日にでも行って、ラーメン餃子を楽しもうと思います。
煙無きほむら明しや絵蝋燭里を思へば穂先の揺るる をさむ
さて私は少時、国道4号線(通称昭和通り)の近くに住んでいました。
その通りの延長に千住新橋があります。荒川放水路にかかる長い橋です。
そんな橋のそばに中華飯店がありました。
台湾か大陸かは忘れましたが、本場の料理人が調理していました。
あっさりしていながら、こくのあるしょうゆ味のスープ。そんなスープに浸る、独特の香りを放つ細めの麺。
小学生の私にもそのレベルの高い味を理解できました。
ところがある日、突然普通のラーメンになってしまったのです。
料理人が国へ帰ってしまったからです。
しかし、しばらくしてもとの味に戻りました。
客足に影響がでたのかもしれません、経営者がその調理人を呼び戻したのです。
複雑な家庭環境にあった私にとって、そんなラーメンを食べることが、数少ない幸せの一つでした。
そしてその味がインプットされている私は、今でもそれに似たラーメンを好んで食べます。
たまたま我が家の近くに、そんな味にやや似たものを出してくれる、高齢のご夫婦が経営する、小さな中華そば屋があります。
今日はもう遅いから、明日にでも行って、ラーメン餃子を楽しもうと思います。
煙無きほむら明しや絵蝋燭里を思へば穂先の揺るる をさむ