五才頃まで私はラーメンをガーメンと呼んでいました。そんな呼び方、何処で覚えたのでしょう。

さて私は少時、国道4号線(通称昭和通り)の近くに住んでいました。

その通りの延長に千住新橋があります。荒川放水路にかかる長い橋です。

そんな橋のそばに中華飯店がありました。

台湾か大陸かは忘れましたが、本場の料理人が調理していました。

あっさりしていながら、こくのあるしょうゆ味のスープ。そんなスープに浸る、独特の香りを放つ細めの麺。

小学生の私にもそのレベルの高い味を理解できました。

ところがある日、突然普通のラーメンになってしまったのです。

料理人が国へ帰ってしまったからです。

しかし、しばらくしてもとの味に戻りました。

客足に影響がでたのかもしれません、経営者がその調理人を呼び戻したのです。

複雑な家庭環境にあった私にとって、そんなラーメンを食べることが、数少ない幸せの一つでした。

そしてその味がインプットされている私は、今でもそれに似たラーメンを好んで食べます。

たまたま我が家の近くに、そんな味にやや似たものを出してくれる、高齢のご夫婦が経営する、小さな中華そば屋があります。

今日はもう遅いから、明日にでも行って、ラーメン餃子を楽しもうと思います。




煙無きほむら明しや絵蝋燭里を思へば穂先の揺るる をさむ