こんにち科学的データによって、弥生時代は紀元前一千年頃からといわれるようになりました。 

そうであるならば、大陸から九州に上陸し日本列島を北上してきた大陸の民と、在来の民(縄文人)とが一千数百年の時間をかけて混血を重ね、大和民族が成立したということになります。 

当然ながらその弥生時代毛人の関東や蝦夷の東北にも、民族間の摩擦が起こらぬ程度に(少数単位で継続的に)、既に大和民族として形成された西日本の民が入っていったことでしょう。

そして混血が重ねられていた筈です。 

つまり毛人や蝦夷は弥生時代後期すでに文化的にも人種的にもある程度大和民族化されていたのです。 

やがて大和国からそんな東北へ強引な入植が始まります。

そしてそれが蝦夷の反発を招きます。

それを官軍が制圧したものが蝦夷征伐なのです。 

つまり毛人征伐も蝦夷征伐も、弥生時代混血によって形成された大和民族が、その大和民族よりやや縄文人の血が濃い毛人や蝦夷の大地になだれ込んで行き、やがてその民を滅ぼしてしまったということなのでしょう。

また日本の殆どの地方において清和源氏、桓武平氏など皇統は尊敬されます。

その天皇から征夷大将軍の位や、錦の御旗を賜った者も同様です。 

 当時としては遠隔地の沖縄の王でさえ、清和源氏なることを主張しています。

そうやって皇統の権威が列島に秩序を与えてきたのです。 

そんな皇統またはその臣下である坂上田村麻呂、源頼朝などが東北を攻めることは正義として描かれるのです。 

関東においても、そんな身勝手な正義感によって、毛人や源頼朝関東征服に反抗する威勢が、まつろわぬもの(従属を拒む敵、悪者)として位置付けられたのです。

というよりそんな史実は北海道から沖縄まで数知れずあるのです。

だからといって関東の我々がヤマトタケル(歴代の天皇の象徴説、雄略天皇説あり)や西国を恨んだりしません。  

薩摩隼人の西郷隆盛が、朝廷を憎んだなどという話も聞いたことがありません。

 歴史的わだかまり、風貌の違い、風俗の地方差による違和感などを拭って、大和民族同士であることを、上古より皆が意識してきたからでしょう。 

ちなみに東北には、夫な(せな)・脳(なじぎ)・魂消る(たまげる)・水車(みんじゃ)など、万葉集等にある古代の大和言葉が残っています。

素敵ですね。  以上は西国中心の歴史観に不満を抱く方の記事に反論するものではなく、我々関東人と同じ大和民族である東北の方に、遥か昔の歴史的な問題に心を痛めないで 欲しいと願いをこめて、述べるものです。 

舗装路に立つ面影の野菊かな をさむ