君が代はフェントンのメロディーを取り下げ、雅楽者である林広守のそれを登用したことが、成功しています。日本の国歌に相応しい優雅な作品になっています。

使用された日本音階(陽音階・陰音階)は日本独自の音階であり、みやびな響きを持っています。

日本全国の民謡がその「君が代」と同様の日本音階で構成されています。

ただし沖縄の民謡には異なる音階が使われます。或いはそれが、日本音階が誕生する以前の日本列島で、草笛、石笛、口琴などによって奏でられた音楽の、音階なのかもしれません。

その隣の奄美の民謡は(ここに詳しい資料が無いから断言は出来ませんが)本土と同様の音階を使うようです。

なお奏者、歌い手、踊り手の装着する羽織、袴、烏帽子は中世の大和のもの、手甲、伽半、腰巻などは魏志倭人伝に表されているとおり、古代の大和のものです。

沖縄民謡の踊り手の男性が太鼓を抱えて舞う際に、頭に布を巻きますが、それも魏志倭人伝に記述されているとうりのものです。

ふんどしは古くは「たふさぎ」とよばれ近畿の古書に記述されています。

つまり全国のほとんどの芸能が、日本音階とともにいにしえの大和の芸能文化を継承しているのです。

なお、三弦が粋に奏でるみやこ調の音階は中世以後にできたものです。また漢詩や和歌を吟じるのに使われる詩吟音階は和歌の節回しを元に中世の武士によって開発されました。能樂(の音階)も同様に中世の武士によって作られました。それら後発の音楽については、本文において例外とします。

日本音階は、渡来人が携えてきた音楽の音階と、縄文人のそれが融合して、誕生したのでしょう、アメリカにおいて西アフリカの音楽の音階とヨーロッパのそれが融合して、ジャズの基本的な音階であるブルーノートが誕生したように。

最近、弥生時代が紀元前千年頃を起源とすることが証明されました。日本音階の調べは三千年もの間、大和民族を励ましてきたのかもしれません。

ところで縄文人と弥生人を比較すれば、前者のほうが世界史に貢献しました。

彼等は石でなく木の文化を選択した為に、後世に残るような建造物があまりありませんが、少なくとも六千年以前の日本列島は世界における先端の独創的文化を誇っていました。

特に土器や漆器はオリジナルなものとして世に知られています。現代に引き継がれた漆器は、ジャポネとよばれ、諸外国に親しまれるところです。

そんな縄文時代の音楽は、前述した沖縄民謡に近いものなのでしょうか、それともアイヌのユーカリの吟詠や熊祭りの合唱のようなものなのでしょうか。

フルートの練習の手を止めて、先史時代の日本列島の音楽に、思いを馳せる私なのでした。




かげひなた抜くる力車や古都の冬 をさむ