少時、戦地から復員された方々が大勢いました。


彼らは家族のため、祖国再建のために、必死に働きました。


敗残兵の彼等は、戦地のことをほとんど語りません。


高度成長時代になると、心に幾分かの余裕が生じて、飢餓戦の厳しさや反戦を口にしますが、おそ、く生涯に数える程でしょう。


だがそんな彼等から、しばしば次の言葉が発せられました。

「中国の女性は可愛い、すばらしい」というものです。


大人になって、私はその深意を知ります。

戦前・戦中、アジアや太平洋の国々に駐屯する日本軍の、一部の若い兵が、現地の女性と恋におちます。

しかし敗戦によって、兵隊は拘束されます。

そんなとき、中国人の女性だけが面会にやってくるのです。

いうまでもなく、それは危険な行為です。

スパイを疑われて、捕らわれるかもしれません。場合によっては、拷問を受けるかもしれないのです。

戦後の貧窮のさなか、乏しい金をはたいて買った米や缶詰や防寒着などを、両手に抱え収容所にやってきて、危険をかえりみず、番兵に大きな声で面会を嘆願する若い女性を想像したら、涙が溢れました。

リアルタイムにない私が感動するのだから、恋の相手またはそれを近くで見聞きする仲間の兵が、感銘を受けるのは当然のことです。

日本のマスコミ関係には昔から中国人を敵視するひとが多くて、まるで楽しむかのように、彼等の民度を批判します。

またマナーが良いとはいえない国の衆まで、彼等を卑しみます。

民度の高さは、思想の高さともいえます。生き死にに関わる言動を考慮して、それを評価したいものです。




残り葉を散らして林を過ぐる風に慰問の包み置いて襟立つ をさむ