裏窓から見える駐車場に、雀がきています。一本しかない立ち木の下に、餌を見つけられるでしょうか。
そんな風景を見ていると、あることを思い出します。
あれは郊外に居を構えて、間もない頃でした。家具やあれこれ生活道具を揃えて落ち着いたら、次に小鳥が欲しくなりました。
少年時代複雑な家庭環境にあった私は、十姉妹やウズラを飼って、鳥たちに励まされていました。
今回はそんな暗い理由で飼うのではありませんが、そのときに知った小鳥を飼う楽しい気分を、再び感じたくなったのです。
そんなとき、庭に雀を見ます。
私は小学校の頃同級生に教わった、捕鳥の罠を仕掛けました。
四個のレンガを寄せてボックスを作り、入り口に棒をかませて、中に米を放り込みました。
雀は次々と罠にかかり、十羽程になりました。
早速、大きな鳥籠を用意して、中に放しました。
そんなとき、南隣の土蔵づくりの古い蔵の軒から、雀の雛が落ちて来ました。
親鳥が心配して、鳴いています。
しかし巣が高い所にあって、戻してやることが出来ません。
しかたなくさき程捕らえた雀達と一緒の籠に入れました。
すると、一羽の雀が、雛に餌を食べさせようとするのです。
私の胸は痛みました。鳥でさえ他人の子供を助けようするのに、無益な趣味のために、大自然の子供らの自由を、奪ってしまったのです。
思えば春、もっとも盛んな繁殖期であり、彼等の帰りを子供達が待っているかもしれません。
私は直ちに雀達を外に放しました。そして二度と野生の生き物を捕らえることはしないと、心に誓いました。
雛の雀は、高いところから地面に体を打ちつけたことが原因でしょう、大分弱っていて、その雀が差し出す餌を食べませんでした。
そして間も無く死んでしまいました。
雀の繁殖期は年に二、三度あるから、巣作りの期間は冬から秋までと、長くあります。
やがて一回目の子育ての季節。
あの日の雀の子孫達も、寒空を、せっせと雛に餌を運ぶことでしょう。
しんがりの飛び立つ待ちて草むしり (をさむ)