催眠の入りやすさというのは潜在意識に入りやすいかどうかといってもよいでしょう。自分に素直でいることが良くも悪くも重要です。喧噪のただなかにあろうが、病んでいようが、不安の中におかれていても、左右されずに潜在意識に自身を落とし込むことができる人は自己と他の区別ができる、客観的に自分をみれる人だろうと思います。それは感性が生き生きし、理性と知性のバランスがよいからだと思います。

感性はもちろん大事な要素でありますが、頼りすぎるとまた問題です。人間は心の奥底に目を向けてなにか一つでも真理のようなものを垣間見ると有頂天になってそれが唯一無二であり自分は究極の真理を会得したかのような錯覚を起こすことがあります。まるで「盲人、象を評す」のごとくです。象を見たことがある人なら幼児でも象は区別できます。アジアゾウとアフリカゾウの区別はできなくても、あるいは絵の象であっても本物でも、象であることは認識可能です。象がいなかった江戸時代では知識人でも象はわかりませんでした。我々人間は象という概念を感性でとらえているから認識できます。象の定義を調べると象とはなんやろかと難しく思えてきそうです。盲人が象のしっぽを「象」と認識するも、別の盲人が足をつかんで「象」と認識するもどちらも象ではありますが真実の一部にすぎません。こうだと“悟って”自分の好きなように動いては、自分にとっても社会にとっても必ず良いとはいえませんね。それは、そこには必ず状況判断する理性や知性が存在し自己コントロールを図っているからです。ですから、理性と知性を置き去りにして感性に身を任せ、欲望や切望のままにすると、一部のあるいは偽の真理に惑わされたり、こころに病魔などが潜んでくると、現実感のない世界が展開しヴァーチャル・ワールドに我々は入り込んでしまいます。日本だけでなく世界のいたるところで、現実感がなくなり理性や知性が抜けていき自分や自分の考えが正しいと思う人が多くいます。単なる文化背景の差異では説明は難しいと思われます。だから理性や知性も非常に大事なものといえます。

我々現代人は今でこそ感性の重要性を学びつつあるのですが、過去にさかのぼれば、感性を劣のものに考える傾向があり実際におろそかにしてきたといえます。そのためこころのあるいは自分のバランスを保つのに大変な時代です。理性と知性、そして感性がうまくバランスをとるようになると、自己と他の区別ができ客観的に判断することが可能となります。

私が思うに人はバランスをとること、理性と知性と感性の三位一体が大事であり、まさにそれが私の催眠療法の目指すところでもあります。

日頃はがん患者さんや悩みの多い方をみています。最近、特に今差し迫って困ってあるわけでもなく普通に過ごされてみえる方とのセッションをしたいと考えています。

2月14.21.28.3月13.27の日曜日の午前午後に2時間程度2000円のプチ体験を予定しています。

催眠療法やリラクゼーションに関心のある方、お待ちしています。

http://iedatherapy.jp/wp/
先の第二次世界大戦中、フロイトはユダヤ人だから迫害の対象に上がりイギリスに亡命したが、がんが悪化して亡くなったとされる。フロイトをネットで見てみると、最期の日記とかで、がんにおかされ苦痛のなかで生きる意義や意欲をもはや見いだせずにモルヒネで、痛みを取りながら昏睡になりながら最期を迎えたとある。

モルヒネを単発繰り返し投与し昏睡のように亡くなったとすると、やはり当時は緩和ケアがイギリスでも未熟だったことを示すものだ。ソンダース博士がまだまだ評価されない時代。感染を合併し頬に穴が空いた状態だったようだから相当に苦しかったと推測できる。

今完璧とは言えないものの、最期を痛くて苦しまれながら死ぬことはあまりなくなっている、少なくとも緩和ケア病棟では。同じ薬剤てありながら、使い方の改良だけで、この半世紀の間に苦痛の軽減をもたらした。また鎮静という手段で最期も眠った状況で苦しむことは少なくなっている。

フロイトが緩和ケアの恩恵に預かっていたらこころの苦悩は難しいとしても身体的な痛みは軽減できたろうに・・

モルヒネ等の鎮痛剤や鎮静剤の知識は必要だ。患者の苦痛をある程度は緩和できる時代であることの恩恵を還元できるように願う。
最近、ここ一年ぐらい夢に着目している。自分の夢も結構面白かったり意表を突くが、病棟で聞く患者さんたちの夢は半端ない。長々とお話しする人は少なくほとんどは夢判断から何らかのこころの思いの確認まで到達できないが、夢そのものは興味深い。

昨日は焦りました
どうしたんですか?
いやーウインナーで・・踊ったんですよ・・
はぁー、ウインナーで?
えー、ウインナーです。参りました。
この時点で、すでに聞き始めて10分経過!、考えがまとまらす、言葉が上がってこない様子。普通の医療者なら、よく寝れるように睡眠剤出しておきますね、で終わりだ。
私はウインナーです。ウインナーにされてしまいましてね・・気がついたら身が粉れて腸詰めなんですよ。あ!( ̄▽ ̄;)、こりやーいかん、なんて焦ってしまいましてね。また気がついたらフライパンの上で踊っているんですよ・・
それって、焼かれているんじゃないですか?
そうですよね・・我ながら必死で踊っているんですよ、たぶん暑かったと思います・・(笑い)ホントに必死なんですよ、私は。助けてというか、でも見ている方の私は笑えてきてね・・、それで目が覚めたんですが、なんかこれは私の今後を示唆するもんなのでしょうか?だとしたらこの続きを確認しとかなくちゃいけなかったですね・・しまった。

皆さん想像できるだろうか、自分がウインナーになって焼かれることを。がんで死を悟られているからこそ、何らかの意味がある。

よくも悪くも解釈可能だ。フロイト風に言うなら。フロイトは当時確立されずショーの様な催眠術から催眠療法に移行したナンシー学派などで覚えた方法から自由連想法を編み出していったが、彼の性格であろう、分析家が主体的に判断し、クライエントとの葛藤の中に隠された意図を見出だす努力をした。フロイトは無意識のものを理解するためには意識的に夢に近づくように諭す、相反するジレンマを抱えるのである。なぜなら意識下に夢は見れないからだ。
私はどちらかと言うとユングに近い。クライエントの主体性に任せるアクティブ・・イマジネーションを考える。しかし、ユングもそこに何らかの物語が存在すると予測したが健在意識下では物語を読み続けなければわからず、多層構造の混沌と分析の困難さにぶち当たるのである。

夢を聞くのは楽しい。だがその夢を患者がどう解釈したか、どんな心理状況に陥っているかが、緩和ケア医のまずチェックしなければならない点だ。自分がみた夢だからこそ良くも悪くも固執する。夢はその人自身の潜在意識下の財産だから、医者は勝手に扱えない。だが、起きたあとにそのときの悪い状況に影響されて夢解釈するとなると要注意!分析するのではない。夢判断をクライエントとともに意義あるものに、あるいは時に腑に落とせるようにしてあげることが緩和ケア医に大事な資質だと思う。

そのあと、この人はどう解釈したと思う?
私はやっぱりまな板の上の鯉なんですね・・主治医の先生はあとどれくらいか訪ねても頑張りましょうって言うだけで・・人生どうなるのかわからなかった。でも時間の問題ですね。ウインナーにされてもフライパンの上で焼かれても、痛くも熱くもありませんでした。どんなになっても生きていける、そんな気がしました。最終的に食べられるのかどうかは見なかったんですが、見なくてよかったんですね・・こんなんでもまだ最期どう迎えるかはまだ自分で決められそうです。先生には変なお話ししてしまって狂ったかと思われるかもしれませんが話を聞いてもらって安心しました。

普通、こういう話を医療者が聞こうものなら「せん妄」という一時的な精神病扱いとなり安定剤の対象となる。この人に安定剤は要らない。話をよく聞いてあげること、こちらは余計な解釈をせずに傾聴し、意義や意味も患者に任せ、ただ少なくともよく鬱気分にはならないように配慮するだけだ。薬を使わなくても良いことは起こる!それは医者と患者の信頼関係があってのご褒美だと思う。
ホームページ→http://iedatherapy.jp/wp/
笑いと治癒力_
ノーマン・カズンズ氏の生誕100年を迎えた。
3年前に学会で広島に行ったときに原爆の被災者を救済し名誉広島市民となったノーマン・カズンズ(Norman Cousins)記念碑を見にいったときに、彼のジャーナリストのとしての行動が全世界を巻き込み動かしたことを確認した。詳しいことは知らなかったのだが、原爆の恐ろしさを世界に報道し被災者の救済のために尽くしていたことは30年以上前になるが高校生の頃に聞いたことがあった。でも今になって彼を思い起してくれたのは薬のプラセボ効果のことからだ。そしてそのことをきっかけに、笑いに治癒力があり、病を克服するのは自分自身の内的な力であるという事実を身をもって示したのがノーマン・カズンズ氏であったことを知って驚愕した。そう、私自身がプラセボ効果って本当になんだろう?って、思ったのは、がん患者さんがよくなっていく人も実際にいるので、最近ふと気になって思い始めたことがきっかけなのだ。病気になったとしても心の持ちようでそれからの生きざまがまだまだ変えられる。ノーマン・カズンズ氏が書いた『笑いと治癒力』を読むと、こう書いてあるのだ。「我々が最後に悟ることはプラセボは本当は不要なもので、人間のこころは小さな丸薬の助けなど借りなくても、困難だが素晴らしい自己の任務を果たすことができる、という事実である。プラセボは形のないものだけでは不安でたまらず、内的な効果には必ず外的な原因があると考えたがる今日の時代だからこそ不可欠な有形物に過ぎない。それは大きさと形があって手の中につかめるから、目に見える仕掛と目に見える答えを求める現代人の熱望にかなうのだ」と言い切っている。治癒力は実は物でなくて自分の内なる力であり、不治の病でも克服できると!ただ現代人は目で見て納得できるような"物”でないと信用しないから、とまで推理している。さらに今でも流行りのビタミンC療法を試みたのも彼なのだ!この本は彼自身の膠原病克服の記録であり、シュバイツアー博士など出会った多くの医師たちとの出会いを描いた素晴らしい本であるといえる。記述の時代が確かに古臭さを感じさせるが、今につながるというより今だからこそわれわれ人間自身が持つ「内なる力」をもう一度見直すべきであり、これもまた潜在意識の力、インナードクターであるといえよう。催眠療法も暗示も同じようにこころの持ちようであり、克服する力は自分の中にあると改めて思う。
ホームページはこちら
笑顔が無くなったときこそ声をかけることが大事!もう一度、あなたに最高の笑顔を取り戻そう。

昨日スキージャンパーの葛西のテレビを見て思い出したことがある。私の失敗のこと。

緩和ケア病棟を始めたころ、葛西選手ほどではないが私も一生懸命だった。勉強して自分をスキルアップし、追い込んでいた。看護師にもなぜ患者中心にケアしないんだ!とか、もっと勉強せい!とよく怒っていた。患者サービスは向上したが私もスタッフも疲弊した。笑顔が消えた。

笑顔が消えるとうまくいかない。失敗を恐れ、緊張して固くなる、柔軟に対応できなくなる。‘飲みにケーション’などもやったが一時しのぎ。コミュニケーションを増やし、問題点を洗い出したり、風通しをよくしたり、工夫はした。評価はなんとか上がっているが、私は今も思う。屈託なく、ボーといつものほほんと、笑っている近藤師長に、どれだけ助けられたか、を。いろんな経験を経て思うことは、「笑顔を取り戻す」ことだった。

笑顔が無くなったときこそ声をかけることが大事なんだ。最高の笑顔を取り戻そう。それが私の教訓である。

笑顔は緊張を解してくれる、こころが解放される、体もよく動くようになる、だから自分を縛っていた鎖を解き放つことができる鍵は笑顔なのだと思う。

今、リラクゼーションや瞑想を進めているのもこころからの笑顔を呼び戻すこと。\(^o^)/笑顔!難しいことだけど、大事なこと。インナードクターはよく知っている。

興味ある方は緩和ケア病棟( http://iedatherapy.jp/hp/ )
私のHP( http://iedatherapy.jp/wp/)


http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=03549
NHK プロフェッショナル レジェンド ジャンパー葛西を見て、ドキドキした!
この番組は本当に見ているこちら側に半端ない感動と人生生きる示唆を与えてくれるね!
世界のトップレベルなのに、いやだからこそなのか?苦悩が続く。長野オリンピック代表を外され失意あり、家族を次々と失っていく。さらに自分を、体を追い込んでいき、笑顔のない「鉄火面」になっていったという。彼を変えたのは技術ではなかったとコーチが言う。競技を続けられる楽しさや困難を乗り越える楽しさ、彼を支える友達や家族、スタッフとの楽しさであり、笑顔を取り戻すことだったという。勝たなければという重圧も、天国の母に捧げるなどの重いも一切消え、こころが解放されたらしい。無心で飛べたのがソチのオリンピックの個人銀メダルに結びついた。

彼ほどではもちろんないが、学ぶことは多い。その時無心でいられるか!が隠された全ての力を十二分に発揮できる境地なのだろう。火事場のバカ力とはよく言う。

無心でいることは潜在意識の隠されたパワーを呼び起こしてくれるようだ。

記念すべき第50回アメリカンフットボール大会が開幕




アメフト大好きな方はあまりいないと思う、私もニュースで少し気にする程度だが、医者として気になる点があるのだ!




カムバック賞である!




アメフトでは我々壮年には目に焼き付いたQBジョーモンタナが有名であるが、彼もカムバック。今年はカンザスシティー・チーフスのエリック・ベリー選手が予想覆し選出された。なにがすごいかって?






エリック・ベリー選手カムバック賞!


彼は昨年がんと診断され治療を受け見事にがんを克服したのだ!!!すごいと言わざるを得ない。




今から20年前、私と同い年でNFL通じて永久欠番92を残し、40歳で亡くなったレジ―・ホワイト選手を知っているかい?モンタナらと黄金時代を築いたラインマンだが、20年前の王座決定戦でレジーは直前に復帰絶望というけがを負ったのだが、彼は敬虔なクリスチャンでもあり、ファンやチームメートのために祈りをささげなんと数日でけがから復帰したのだ!!




ベリー選手にしろレジーにしろ、自分のためだけでない、みんなのために自分を鼓舞して奇跡を起こしたというのだ。




この奇跡は純粋に自分の内なるパワーを信じていたからだと。




我々の中には、病をいやす素晴らしい「インナードクター」が備わっている。自分を信じ純粋に復帰できると信じていると内なる叡智(インナードクター)が目覚めて治してくれるようだ。




医聖とされるヒポクラテスも言う「医者は患者自身が治るのを助けるだけだ」と。




我々の中にあるインナードクターなる叡智を探してみよう。




もし探せない方がいればお手伝いしますね。


インナードクター療法に関心のある方はこちらへhttp://iedatherapy.jp/wp/hypnotherapy/

昨日、プチ哲学者になった。そして今日はまた凡夫に戻った。

不十分なながら凡夫を認めつつ凡夫からの脱却を図りたいともがいている私がいる。本当は医者なんかでひとに教えることや助けるなんて大それたことなどできないんですよ。ダメな私はいつだって、「ああ~なりたいなあ」とか「うらやましいなあ」などと羨望を抱いたり、時には「俺だって」といった変なライバル意識を得たり、「あの人はあの人、俺は俺」などと言って割り切ろうとしたり、自分の中の葛藤が絶えません、こんな年になってもです。だからでしょうか?同じように苦悩されている人がいると、寄り添って、自分のことのように思えるわけです。心理学的には共依存(悪い意味では暴力夫に愛想をつかし怯えながらも離れることができないどころか私がいないとダメと思っている状況もこう表現しますが)、共同体意識に近い感情です。

人間を構成する体細胞は幹細胞という山中教授が遺伝子で使っている源の細胞から多感応で様々な細胞に分化する力を有します。肝臓に生まれれば肝細胞に、脳に生まれれば脳細胞になってその組織の一員に組み込まれるというわけです。肝臓の細胞と言っても肝細胞だけではなく胆管上皮細胞や繊維組織の細胞が肝臓全体を構築しているわけです。脳細胞もプルキンエ細胞や様々な神経細胞や支持組織の細胞から構成されて脳を形成します。そしてその組織が集まり人間を構築しているわけです。さらにその人間が集まり家族を構成し、グループを作り、国を作って世界を成し、時には異端児のテロ組織やがん細胞などもおり多種多様に構成されさらに大きな組織体制を構築しながら宇宙に至るわけです。銀河も様々な銀河からなっているといわれ際限がありません。もし肝臓で生まれた肝細胞が脳細胞に憧れ分化してしまったら肝臓という“村”では生きていけないわけです。そこで淘汰という自然の組織維持が図られたり、自分は合わないというアポトーシス(自死)ということがでてきます。しかし中には意地を張って自分の仲間を増やして独自のグループを作っていく者もあらわれます。テロ組織であったり腫瘍であったりするのもそうかもしれません。どの細胞も生き死にを考えて成長進化退行を推し進めているようです。

全体の中の調和という微妙なバランスの中で個と全体がしのぎをけずることになります。多種多様性を認めないと各々の役割を円滑にできないわけですから全体の調和がとれず全体の死をもたらします。このバランス感覚が非常に難しいと考えています。時代時代の政策や経済政策、福祉などの社会的なことも人間の細胞も宇宙のあり様もこうなのかもしれません。だからもう少し自己の中にある多様性に寛容を示しつつ、全体としてのバランスをとることが重要なのです。ホメオスタシスというのはそういう機能を維持する最大の人間の働きと言えます。全体のバランスをとるためにここが何をすべきかを誤るのは失策となります。神の言い伝えを勝手に解釈したり間違えるのはよくありませんが、人間自身が良かれと思ってやることには必ず良い面と悪い面が存在し、時間の経過や流転したり状況によってもその立場いかんで良悪の判断はころころ変わります。今こうだといっても変わっていくものです。人間だって生まれてきたばかりの子供と成長して大人になったものとは違うわけです。しかしながら私は子供であっても老人になっても“家田秀明”なのです。何が変わらないもので何が変わるのでしょうか。私を構成する細胞で生まれたときの細胞は脳に残るぐらいでほとんど入れ替わっているのにです。

変わらなければいけないのに変わらないものを維持するには絶妙なバランスが存在するといえます。それが神の御意志や神の手であったり、市場の原理であったり、意思であったり、国是であったり、宇宙の心理であるのか、凡夫の私にはまったくわかりません。ただ医者として思うのは、体を構成する個と全体は何らかの指示のもとバランスを取りながら役割をになっていくことが大事なわけです。多様性を認めない限り“村八分”になってしまいます。村を出て討ち死にするか、隠遁して関わりなく生きるか、“村”の中に生まれた“異端児”は本来異端児ではなかったのに、その小さな組織の中では異端児にされてしまいます。常に話し合いを繰り返し、なにか意味があって生まれたとしたら、耳を傾けるのがよいのではないでしょうか。

バランスをとるために耳を傾けてみる、自分の中にはいってみるという手っ取り早い方法は潜在意識の中に自分をおいてみることです。静かに瞑想を行いリラクゼーションを図るうちに、要らないものは自ら引き下がっていくし共存協調の方向性が見えてくるようです。

顕在意識で(頭で)わかろうとしても理屈になります。こころに(潜在意識に)自分を落とし込み、自分がアンバランスの双方の調停役になって高みの次元に解決を図ることは可能です。静かに耳を傾け内なる自分に真摯でいましょう。

細胞でも人間でも星であっても死ということは避けられません。全体を構成する中で死に、生まれ変わりを繰り返ししていくわけです。こころを開放して自由でいるとふとうまくバランスがとれるようになります。調和は必ず訪れます。歴史を見ても紆余曲折しながら進化進歩しています。そして皆が良い方向には向かっているはずです。我々は皆凡夫であってもバカではありません。意地を張って協調しようとしていないだけです。自分の中に隠された潜在意識の力を信じていけば、自ずと自然に高次のレベルで進化して落ち着くようになっていると思います。そして役割を終えたときは新たなものに生まれ変わってさらに進化をとげていくのでしょう。