2枚の写真をご覧ください。

 

これらは、

大学以降に知り合った人は

誰もみたことのない、

本邦初公開の写真です。

 

 

 

ボクの

中学生の頃の写真です

 

 

 

 

みなさんの感想を

いただきたいところでもあるが、

 

たぶん、

今現在の僕を知る人にとっては

 

 

「あまり変わってない。。。」

 

と思うんじゃないかな。

 

 

上の2枚の写真は

ともに

中学1年生のときのものだ。

 

上は、

1年生の7月に

学年全体で八ヶ岳登山に

行ったときの写真。

 

下は、

同じく1年生5月に

近くの平尾山に

遠足に出かけたときの写真だ。

 

「平尾山」というのは

今は

「佐久平ハイウェイオアシス」、

「スキーガーデン・パラダ」という

高速道からおりずに

そのまま楽しめるスキー場として

有名な場所になりました。

ボクが子どものころは

ただのハイキング向けの山だったのです。

 

 

 

何度か書いていますが、

ボクは、

長野県佐久市に暮らしていた。

 

生まれは千葉県市川市なんだけど、

親の仕事の関係で引っ越して、

以来、高校卒業まで佐久市に住んでいた。

 

当初は、

やがて千葉県に戻るのではないか

とも話していたが、

 

10年も佐久に暮らすうちに

両親とも

この地を「終の棲家」と

決め込んだらしい、

当地に家を建て、

今、僕の実家は佐久市にある。

 

写真をみて、

違和感を感じた人は多いかもしれず、

それはひとえに、

胸のゼッケン

せいだろう。

 

僕らの頃は、

まるで「認識番号」のように

体育着の胸と背中に

「番号」を貼ることが

「きまり」だった。

 

中学校3年間でクラス替えはなく

(ちなみに、小学6年間もなかった)

したがって、

それぞれの番号は

3年間

その生徒固有の番号となる、

 

 

ボクは「506」番。

 

 

「5組」の

「出席番号6番」である。

 

もちろんこれは

後の「キョウイク論」では

「生徒を囚人扱いしている」とかなんとか、

まあ批判も多くなってったはずなので、

たぶん今はやっていない、

っていうか当時ですら、

もしかしたら

長野県佐久市という

非常にローカルな地だけの

習慣だったかもしれない。

 

 

 

まあ、

それはそれとして。

 

今さらなんでこんな写真を

おおっぴらに

公開しようと思ったかっていうとね。

 

 

 

この写真に写る2人、

 

516番のMと

510番のK。

 

彼らと

7年ぶりに

会ってきましたのです、はい。

 

 

 

 

「7年ぶり」というと

「7年前に会った」

ということであるが、

 

そのときは

なんと

「30年ぶり」

の再会だった。

 

 

 

さいきんは

やる人も減っている

Facebookがきっかけだった。

 

Mの方が

Facebookでボクを見つけて

連絡してきてくれたのです。

 

いやぁ、懐かしいねぇ。

どこかで集まれたら

楽しいねぇ。

 

なんて、

社交辞令のような

やりとりから始まったけど、

「まさかね・・・」と

内心思わなくもなかった。

 

 

というのも、

 

ボクら3人は

仲良くそろって

中学校を卒業したわけではない。

 

まず

510番のKは

中学2年のときに

同じ長野県内ではあるけど、

佐久からは遠い諏訪に

転校していった。

 

516番のMは

中学卒業までは一緒だったけど、

卒業と同時に

遠く千葉県に引っ越した。

 

 

ボクはボクで、

実家こそ佐久にあるけど、

大学入学とともに

埼玉だの八王子だのに暮らしていて、

 

まあ、カンタンにいうと、

3人ともバラバラのところに

いるわけです。

 

けれど、

そこはKとMの行動力におされ、

まったく音信不通だったのが

30年ぶりに再会したのが

7年前。

 

まあ、そりゃあ、

懐かしくもあり、

刺激的でもありました。

 

 

エラそうな言い方になってしまうが、

2人とも「立派な人」になっていた。

 

Mは国際結婚、

エレベーターの保守管理などの

仕事を手掛けているが、

そこに至るまで、先見の明を発揮し、

社会貢献、バリアフリー、インフラ、

いろいろな分野に挑戦していた。

 

Kは諏訪で畑をもち、

農業に携わりつつ、

介護福祉業にも従事し、

地元の高校生とボランティアの

コラボレーションをプロデュースしたり、

あるいはフラッとひと月ほど

海外に旅に出て、

インドだのチベットだの

ラオスだのを歩くことで

自分の世界を広げているらしい。

 

 

2人とも

「かまたはすごい、

かまたは昔からすごかった、

オレなんかは、かまたの影響をすごく受けた」

なんて言ってくれるが、

ボクとしては

ボクがいちばん

小さく収まってしまっているなぁ、

なんて思ったりもする。

 

実際、この業界にいると

ホントに

視野・世界がせまくなる。

 

ボクはここに来る前に

ほかの業界にいたこともあって、

「教育業界」の視野の狭さ、

閉鎖的で排他主義なところ、

非常識加減なんかをさんざみてきたので、

他業種の人の価値観に触れる機会があれば

できるだけそれを活かそうと

しているつもりだけど、

それでも

やっぱりまだまだ井の中の蛙だなぁ、

と痛感する。

 

久々に

そんな気づきを

ボクにもたらしてくれたのが

30年前の親友たちだった。

 

 

「また会おうね。」

「今度はメンバー増やして。」

「同窓会だな。」

 

なんて言いつつ、

そのときは別れたのだが、

 

 

 

そこに

コロナ渦が襲ってきた。

 

 

いろいろな意味で

みんな身動きが

とりづらくなった。

 

とはいえ、

諏訪・・・というか

有名な「原村」に住むKは

お家にお邪魔して

野菜をわけてもらったり、

この期間中も

何度か会ったんだけど、

Mの方は、まったくだった。

 

 

そういうわけで、

きょう、7年ぶりに

「37年前の仲間」が

久々に集まることができました。

 

 

まいどまいど、

原村から新宿まで

出てきてくれるKには感謝♪

ホントに、このためだけに

日帰りで来てくれます。

 

「今度はこっちから行くよ」

とは言うものの、

・・・原村だし。。。

 

せめて途中の甲府で会おうか、

なんて言ってもみるんだけど、

そのくらいだったら自分が新宿まで行く、

と言ってくれるので

甘えています。

 

諏訪・千葉(柏)の中間点というと、

実は八王子なんじゃないかなぁ、

と思ったりもするが、

それだとボクだけがラクしてるので

口には出しませんw

 

ともかく、

Kは夕方には出ないといけないから

早めの解散となりました。

 

 

 

せっかく新宿まで来たのだから、と、

 

甘いモノが好きなKが

「パフェを食べよう」

と言い出した。

 

ちなみに、

Mも甘いものが好きらしい。

 

 

・・・ここは

民主主義の原理で

解散前に

パフェを食べにいきましたよ。

 

 

タカノフルーツパーラー。

 

 

まさか自分が

タカノフルーツパーラーに

行く日が訪れようとは

思ってもみませんでした。

 

 

 

だって、

ほら、

 

甘いモノ、

あまり得意じゃないし、

果物も、

そんなに、

たべないし。。。あせる

 

 

 

しかしね。

 

 

やはり

格が違いました。

 

ボクは

熊本デコポンのパフェを

いただいたんだけど、

 

 

 

!!!

びっくり

 

おいしいぃぃぃぃ~~~っ!!!

ラブラブラブ

 

 

 

デコポンが十分甘く、

そいで、

中のシャリシャリはシャーベットかな、

こっちは酸味もあるので、

甘すぎない生クリームが

むしろいい感じ♪

 

至福です、これ。。

 

 

当然ですが、

生まれてからいただいてきた中で

もっとも贅沢なデザートだと思います。

 

 

家族には黙っとこう・・・。

 

 

 

 

 

猫kama

 

 

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