パリサイ人の祈り | 夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

本当は爽やかな春風になりたいけれどなれない、暑苦しい夏風のブログです。

昨日、エシ後屋さんからのコメントの返信を書くために、ルカ18章を改めて読んでみました。

ご指摘いただいた記述の後に、イエスがパリサイ人と収税人の祈りの違いを述べて、パリサイ人の態度を非難しておられます。この記述は、私も小学生の頃から知っており、好きな部分でした。


しかし、今改めてこの部分を読んでみたら、愕然とさせられました。


その箇所はこうです。


ルカ18章
10 「二人の人が祈りをするため神殿に上りました。一人はパリサイ人,他の一人は収税人でした。11 パリサイ人は立って+,これらのことを自分の中で祈りはじめました+

よ,わたしは,自分がほかの人々,ゆすり取る者,不義な者,姦淫をする者などのようでなく,またこの収税人のようですらないことを感謝します+12 わたしは週に二回断食をし,自分が得るすべての物の十分の一を納めています+』。


これを、ちょっとだけ細工しますと…、

「神よ、わたしは、自分がサタンによって汚されたこの世の人々、物質主義である者、世の交わりに浸かっている人、性の不道徳を行う者などのようではなく、またこのエホバの組織から離れた人のようですらないことを感謝します。私は、週に2回の集会はすべて出席し、開拓奉仕を行い、組織から指示があった金額をすべてそのとおり寄付しています。」


こういう祈りやプログラムって、言葉はもう少し違いますが、よく大会や集会などで聞くことはないでしょうか?


私はしょっちゅう聞いていますし、プログラムでもこれでもかと、ことあるごとにこのような内容を強調されています。


覚醒した今、JWはパリサイ人も真っ青の独尊主義であることが、とってもよくわかります。