公正を要求するのは不適切!? | 夏風の吹く広場〜JW.orgに載らないある暑苦しい男の思い〜

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本当は爽やかな春風になりたいけれどなれない、暑苦しい夏風のブログです。

昨日の日々の聖句と注解です。

              10月29日,水曜日

これらの者(は)主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに言います。―ユダ 8

クリスチャン会衆内に,そうした霊が占める場所はありません。会衆の年長者たちは完全ではありません。使徒たちの時代と同じです。長老も間違いをし,それがわたしたち個人に影響する場合もあります。そのような場合,世の霊に従って反応し,強硬に”公正”を要求したり“あの長老を何とかすべきだ”と強く求めたりするとしたら,なんと不適切なことでしょう。エホバは,小さな失敗を見過ごすことになさる場合があります。わたしたちも同じようにできるでしょうか。重大な悪行を犯した人の中には,長老たちの欠点と考える事柄のゆえに,助けるために割り当てられた長老たちの委員会の前に出ようとしない人がいます。そうした人は,医師について気に入らない点があるという理由で治療を拒否して益を得損なう患者に例えられるかもしれません。塔12 10/15 2:6,7



私は全く意図していなかったんですが、前回の記事の、大会の劇で取り上げた視点が、残念ながら勘違いでなかったことを、組織が見事に証明してくれました。


「特権持ち」には、極めて甘い組織になり下がりましたね。


エホバは「公正の神」じゃなかったんですか?

「公正」を要求するのは、不適切なんですか!?

(アリエナイ!信じられない!)



キリストはルカ12章48節で、

「誰でも多く与えられた者、その者には多くのことが要求されます。」

と言われました。


この組織は、いつからキリストの言葉も、言い訳しながら煙に巻くようになってしまったのでしょうか?


そして、またもや聴聞会や審理委員会のことが述べられています。しかも、今回は各々に疑いがかかって「お呼び出し」がかかった時のことが想定されています。


もしそんな状態で聴聞会や審理委員会に出席したら、ガンではないのにガンと診断されて、不必要な手術を受けさせられて身体を切り刻まれ、強い抗がん剤の副作用で衰弱死させられるようなものです。

(医療関係の方がご覧になって、この表現を不快に感じられたら、お詫びいたします。また、可能ならどうかコメントなどでお知らせください。)