薬となる教導をするか?毒となる教導をするか? | 家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

家庭犬共生共育トレーナー&共同生活問題カウンセラー田中利幸の気づきとぼやき

2021年11月でトレーナー&カウンセラー歴22年。
”イヌをなおさずして、問題を解決する”が私もモットーですが、そこに至るまでの様々なわんこ先生(犬達)と飼い主さんと歩んだ気づきのメッセージを楽しんで愛犬と共利共生を築いて頂けたら幸いです。

 桜が満開を迎え、散り始めている今日この頃。
すっきりそうした春の訪れと生命が咲き誇る美しさを感じることを忘れてしまう人生初のこのような春を迎えたように感じます。
真善美を失いかけていることも、今、もう一つの危機だと私は感じています。

 

 今日のタイトルは「薬となる教導をするか?毒となる教導をするか?」にしました。

指導にしようと思いましたが、皆さんに講座などでお話しさせて頂いてどうしていくといいのか?という導き(ガイド)をさせて頂いているので、実技だけでしたら「指導」にしようと思いましたが、話しを伝えて教えさせて頂いて導くことをしているので「教導」という言葉にしました。

治療は動物なら獣医師しかできない医療行為なので、獣医師ではない私にはできないことです。

しかし、犬を治す必要があるのか?私は色々な子を観てきましたが、本当に器質(臓器)の疾患でない限り、直すという考えも実践も違うことをしているように感じます。

 

 「この問題直りますか?」と質問されても「正常な子を直すことは異常にさせることになりますが・・」と返している。

問題というこの感覚さえ、犬自身が問題と感じていないし、異常ではなく、私達人間にとっての「問題」だけであり、だから犬をなおすという実践をした時点で、異常にしていく一歩を踏み出したことになると思うのです。

ここで大切なのは、飼い主さんが悪いと責め立てたり、犬が悪いと責めることではないのです。

人間は間違えるし、失敗もする。それをまずは素直に受けいれることが大切だと思うのです。

ほとんどの方は好きでそうした問題を作ったわけではなく「知らなかった」からで、その子のためにとやった結果、困ったという結果になっただけなのです。

 

 これを〇〇障害とか、病気のようなラベルを貼ることで、私は悪くなかったし問題ではなかったと安堵し、犬がおかしかったら私の責任じゃなく犬をなおそうという意識にしてしまうことが、飼い主さんを間違った、失敗へと教導しているのです。

その為に何かラベルを求める気持ちもわかりますが、私の改善すべき意識を持つ為ならラベルが悪いわけではないのです。

自分は改善せずに相手を都合よく努力せずしてなってくれ!というきっかけにラベルがなることが問題なのです。

 こう書くと偏った見解をされる方も見えるので付け加えておきますが、病気としての症状になっているのにも関わらず治療をしない、薬を飲ませないというのは、これもエゴになります病気は治療する努力をしないといけないので指示を受けたお薬を服用しながら、治療するために必要な環境改善や、生活改善、接し方の改善はやはりしないといけません。

獣医師に治してと薬任せではなく、治療が進むように協力と必要な実践をしないといけません。

ここはやはりしっかりと線引きしないといけませんが、協力という面においては治療もリハビリケアも共通しています。

病気じゃない場合の今回は話であることを誤解しないように気を付けてください。


 相手にとって都合に良くないからと一方的に悪者扱いされて、終いには自分達も自分達の常識で行動しているだけで、何か嫌がらせをされたり、怒られたり、またなんか甘えられたりしたら混沌状態になり、その上、自分がおかしいと言われて薬を一方的に飲まされて、相手が理解してくれないし、こちらも理解できないというコミュニケーションができなくなっているだけの状況を治療として犬だけを都合のいい行動や姿

なるように実践していくのは、自分事と考えたらできないと思います。

 何か、そうした人の話を聞いていると、他人事のように話していて自分事を忘れている方が多いのが気になってしまいます

だから、私が提供することは犬だけをお利口するためのしつけやトレーニングは行わないことを伝えます。

相互が誤解してしまい、それを理解しあっていき、意思疎通と発育と共同生活に必要なスキルを提供してあげられる親のトレーニングでサポートし、子も健全な心の発育を提供される環境が整えば、普通に意思疎通しあい、敬いあって本当に自由な共生や生活が確立できます。

どちらにしても、私は「苦労や負荷のない」ことはないと思います。「楽しい、負荷のない楽」だけは存在しないのです。

 

どちらによって、薬となるガイドになるか?毒となるガイドになるか?に分かれてきます。

良薬口苦し・・とありますが、薬となる教導は今の時点では苦い、痛い言葉の処方箋になることが多いかもしれません。

毒ほど甘い・・ともありますが、毒となる教導は今の時点では甘い、楽な言葉の処方箋になることも多いと思います。

今だけなら、毒がいいと選択になりますが、未来を見据えた上で考えると薬がいいと選択になります。

薬はどんどんよくなっていきます。毒はどんどんと苦しくなって中毒になれば立ち上げれなくなります。

medicineかDragか?ここを冷静に判断できないと、Dragで誤魔化しても相互の利のある改善は難しくなります。

これを「片利共生」と言います。共に努力する課題があって、相互で努力しあえば、medicineで相互の利のある改善が見込まれます。

これを「共利共生」と言います。

 

犬の行動が問題ではなく、他人任せの自由となっていて、自分が問題を感じていながらも保護環境で保護関係を築くことなく放っておくのは「無責任な自由」偽物の自由だと思います。

困らないようように、保護環境で保護環境を築いて、互いに困ることなく自意識行動できる責任ある教え育む実践があってこその「責任のある自由」でこれが「本当の自由」だと思います。

面倒、嫌を避けてばかりいて、怠けていけば、そのつけは自分に返ってきます。これを自由にしていると言いますが、ただ放ってあるだけにして何も教えずに文句を言ったり、問題を犬に押し付けるような親を信頼するわけもなく、関係も終わっているでしょう。

あまりにも人間側が都合が良すぎて、相手を思いやる心がなくなってきています。

同じことを伝えてもそれが前向きになる人、それが不愉快になる人もいます。

よくするために頑張ろうと薬を飲む人が、やはり未来は改善した成果で笑顔が見られ、犬も本当に安心した姿を迎えられます。

この子がちゃんとしてくれればと薬を拒否する人が、やはり未来はまったく改善しないか、しても満足しなくて、不満や文句ばかりで犬も悲しい姿を迎えています。

皆さんは愛犬をどちらにもできますが、専門家は皆さんの代わりにはなれません。

支えにはなれますが歩むのは飼い主さん自身が主役になって実践していかないとどれだけ支えても効果は出ず、甘い毒を探して、その毒の快楽に逃げ込んだらもう笑顔はみられないし、いなくなったら後悔で苦しむことになります。

自分に責任のある自由を選べる人(親)のもとで育った子には、楽しく生きられる未来が待っている。
自分に無責任な自由を選べる人(親)のもとで育った子には、苦しく辛い生き苦しい未来が待っている。

 

決めるのは親の責任だけど、ガイドは専門家の責任です。
家庭犬は飼い主さんと犬の相互のメリットを考えた策、未来を見据えた策を教え導いていかないといけません

使役犬は専門職の犬を育てる訓練育成でスペシャリストを育てる分野ですが、家庭犬は共同生活のできる教育やトレーニング

自由力を育める親をトレーニングして育成していくスペシャリストを育てる分野です。

 

薬となる教導を選ぶか?毒となる教導を選ぶか?あなた次第です。

犬達はそんなあなたによってどちらにもなれます。

どちらを目指したいですか?