人間同士・・同じ日本語を使い言葉は理解しあえるのに、心がわかちあえない。
犬たちは違う言語でありながら、理解しあうことで心がわかちあえる。
言語よりもやはり原点は心と心の会話だといつも思います。
例えば、同じ言葉を言われたとします。
一人は馬鹿にされたとその言葉に怒りを表す。
もう一人は気づきを得られて本当によかったと感謝を表す。
同じ言葉なのに、その後は変わってしまいます。
犬は素直に受け止めます。
しかし、人間は自分の都合フィルターを通しているので素直には入りません。
これは犬と向き合う時にも同じことが起こりします。
愛犬が少しでも成長したことをよく頑張ったねって褒める人。
かなり頑張って学習できているのに、それでもダメだという人。
これは犬の問題でしょうか?
すべては人の心によって起こっている問題です。
良し悪しも人の考え方次第で変わるもので、相手のせいではありません。
ダメなことをしている人ほど、それを隠そうと相手をダメと評価します。
相手に安心を与え、いつもほどよく関わっている人ほど、いつもよいところを評価します。
馬鹿にされたと怒る人は、日頃相手をバカにして怒っている人。
コイツはと犬を見下している人は、コイツはと人に見下されることが怖い人。
いう事をきかないと怒る、イライラする人は、いう事を聞かない人。
すべては自分の心が、問題を作り出し、喜びを作り出しているのです。
犬と上手く付き合いたいのなら、犬ではなく、自分の心を見直すことができる人で常に教えて褒められて,相手を尊重する心があれば自然と愛犬も飼い主さんを尊重してくれる。
私は問題、文句、批難をされたら、そうした物は頂かずにお返しします。
不快なものを誰かに渡して、自己改善しないのなら、不快なものを返すのも御礼になります。
私の問題ではなく、飼い主さんの問題だからこそ自分の問題として、自分で向き合えないようにしてしまったら私はその方の問題改善を「邪魔」したことになるのです。
誰かに良くしてもらおうと努力せずに、やらないといけないことを実行せずに、誰かに良き成果を求めて不満だらけになっていたら、自分で立ち上がるまで、気づくまで待つのが指導者の責任です。
依存させてしまって、自分が良い人になってその方の自分で改善することを奪ってしまうのは優しさではなく、良い人としての自分の満足を高めるだけで相手のためではなくなってしまう。
依存させてしまえば、どんどん自分をいい人に認めてもらえて気持ちいいけど、その代わりに誰かが犠牲になっていることを忘れてはいけない。
この仕事は飼い主さんが自分で解決できる、問題にならないスキルを養ってもらうことのお手伝いすることであって、飼い主さんの改善意識を無くすことを、自立を奪うことをするのが仕事ではない。
だからこそ、指導者は嫌われる勇気も必要だし、自分に厳しくないと自分も依存してしまう。
共依存になったら、本末転倒になる。
飼い主さんの心に問題の種があり、問題を刈り取る力もある。
それに気が付いてもらうお手伝いをするのが私たちの仕事です。
自分を見直しながら、少しでも愛犬が安心した、落ち着いた様子を観ると、それが本当の意味で満足感と喜びの共感がしあえます。
その方が楽しいし、双方ともプラスになっていきます。
トレーナーによくしてもらっても、自分でやっていないのであれば、そこに堕落というつけが出来て、後に苦しむ出来事に遭遇する。
実は自分の心が世界を作っていて、変えていきます。
見える世界まで変わってきます。
何事も完璧はなく、メリットも合えばデメリットがあります。
犬が唸ってきたのは問題だ!だめだから直さないとと考えることもできれば、唸ってくれたから嫌とわかり対応できたから意思表現として大切する、ありがたいとも考えられる。
嫌を伝えてくれることは私は悪いことではないと思うし、むしろ伝えてくれないとわからないし、言える人でありたいと思います。
こうした意思表現を問題だ!病気だ!と表現を弱めてしまうと本当に伝えたいことがわからなくなるという問題が起こります。
日本人は今まで犬の声を理解する必要性がなかったので、表現を理解し、こちらの安全を伝える意識がなく、努力という概念がありません。
だから、現象評価をして、人に対して都合の悪いものを一方的に抑えるのが良しとなっているのです。
コミュニケーション障害が人間と犬の間に起こっているケースが多く、犬の気持ちを理解し、そして安全だということを伝えるという意思疎通の動機づけから始めないと、V型と呼んでますが、どんどんと進めば進むほど互いの距離が離れていくようになります。
大人しくなったのではなく、伝えることを諦めただけは、よくなったのではなく関係が離れたのです。
A型は互いに距離を保って徐々にお近づきしていき、意思の交換は激しくなりますが、進めば進むほど距離が縮まり関係が結ばれます。
何を優先するのか?です。
私のカウンセリングという立場では、犬のストレートな表現を出してもらった方が、ポイントが見つけやすいのですが、飼い主さんには負担はかかります。
薬物療法という立場だと不安、緊張が和らぐので、互いに負担は少なくなりますが、実際の嫌のポイントがつかめないので、その部分の改善交流が出来なくて、薬が減ると出現してしまうという面もあります。
どちらも一長一短で、どちらが優劣は関係なく、またどちらもメリット、デメリットがあります。
それを踏まえて、取り組んでいけばいいのです。
意見は抑えるのではなく、言ってもらった方がいい。
そうすることで、相互理解が出来ていきます。
自分に都合の悪い意見を消そうとか、抑えようとしますが、それを伝えることで理解しあえるのです。
これは批難でも、批判でも、バカにしているのではなく、メッセージです。
これを問題ととらえるか?意見として有難く受けるか?は自分の心次第です。
誰かではなく、自分の心が、自分の見える、感じる世界を作っています。
自分が変われば、世界も変わります。
犬を変えるのではなく、自分が変われば同じ犬の行動でも見え方が変わります。
私はいっぱい話してほしいし、伝えてほしいし、私も犬達にいっぱい対話して、伝えます。
コミュニケーションが楽しく、理解しあえた時の共感はやはり嬉しいものです。
そんな見えてない世界を見つけられるお手伝いを私はしたいと思っています。
犬と対話を重ねる・・きっと種を超えた素晴らしい世界が見えてきますよ。
