今年は冬らしいって感じる日が本当に少なかったように思います。
乾燥はしていましたが、-10℃には一回も美濃加茂はいかなかったです。
リンも手術して1か月経ちましたが、すっかり元気になって本当によかったです。
久しぶりの今日は頬こすりをしてきましたが、これも犬からするのはいいですが、人が犬に頬こすりを歩み寄るのはよほど好意の関係なかったら難しいし、危ない行為です。犬からきたら倍返ししないように受けとめてあげられると、犬も安心度が増しますが、最近は人が犬に求めすぎ、与えすぎのように感じます。
私はいつも心がけているのは、賛否両論という言葉を私はいつも自分が発現する時は思っています。両方あって一つだと思っています。
ですので、犬と共に暮らすことも、すべてに共通していることは、メリットもあれば、デメリットがあるということ。
陰陽ですが、デメリットがあるからメリットがある。メリットがあるからデメリットがある。どちらも必要なのです。
影が出来ているとは、光が当たっている証拠。影を少なくしたら光も少なくしてしまう。
日本には「お陰様」という言葉がありますが、私はこのおかげさまを今一度大切にしていかないといけないと感じています。
最近は、ビジネス優先になりすぎ、飼い主さんを飼い主様にしてしまい、デメリットは様が怒るからメリットのみしか伝えないようにしていることが現場では多く感じます。
私は根がネガティブ、現実主義なので、デメリットからいつも検討し、どうするか?を考えると自然的にメリットというご褒美がついてくる。
しかし、メリットというご褒美ばかりに目をとらわれて、デメリットに対する対応準備がないとデメリットという現象がノーガードの人にものしかかる。
犬と暮らすのは、本当に紙一重だと私は犬と関わるうえで思っています。
一歩間違えば、怪我をし、互いに恐怖VS恐怖の生き残り戦争になってしまったら、これは関係崩壊になり、修復は難しいでしょう。
子どもの情緒教育にいいというけど、犬を愛玩のように扱い、自分的に相手を大切にしている行為が優先となり、相手の気持ちを考えず、自分は優しくしたという自己満足の心と思いやりの欠如になれば、犬と暮らして子どもが思い通りにならないと相手を攻撃する、暴力を行うようになる。しかし、そうした危険性や現実、何でも思い通りになることはないのがこの世ですから、かわいそうにみえるけど、この先を見据えて、成犬に成った時に相互の幸せを築き、送れるようになるにも、思い通りにならない苦痛の軽減の実践(環境や接し方マナー、育て方、保護等)をさせながら、自分がしたいことを相手が嫌がっているから与えないで理解し、時を待てる、間を大切にできることを大人であり親が教えてあげれば、危険よりも友情、信頼など、相手を大切にする心が育ちます。
今日も生徒さんじゃない方と犬話をしていましたが、「日本人はまだ犬と暮らすことに慣れていないし、文化にもない。犬と暮らし、教え育むメンタル力も弱いと思う」と言ってたけど、私もそう思う。良い悪いではなく、ヨーロッパの人たちは歴史と文化として、犬と共に生きることに適応できるメンタルがDNAで受け継がれているように感じる。
もちろんすべての人ではありませんが。
自分が耐えられない、自分だけの快となる、撫でたい、声をかえていたい、甘えたいなど自分だけのメリットしか見えない時は大人ではなく子どもだし、人ではあるけど、人間じゃないと思う。
犬には大人と人間が必要で、いないと育たず、逆に犬が飼い主さんを育てないといけない状況になっているのかもしれない。
この駄々っ子でわがままな子には本当に手が焼ける!と犬が言っているかも。
だって、ずっと体を撫でたり、可愛がるのは、自分が甘えたいし、それはグルーミングと同じだから犬に甘え、頼ってしまっていることを誤解させてしまっているミスコミュニケーションが発生している。
しかし、飼い主さんは悪くない・・で終わるとここからミスコミュニケーションの改善は厳しくなる。
いう立場の人で、ビジネスを考えたら飼い主様にいい情報や都合がいい、あなたは悪くないという言葉が一番の強化子になります。
ここで自分を見直し、自分を変えることはできると気づいた方は大人であり、相手との間をとれるようなり人間になる。
相手なんて変えられないし、従う必要性はどこにもない。わかって動けて、その時にもし合図となる言葉があっても、安全を約束されていたらいいけど、安全脅威にさらされたら、わかっていてもできない。飼い主さんの合図の信用崩壊になれば、学ぶ信頼が一瞬で終る。
言葉が繋がる同士がわかりあえない。でも、言葉を使わない犬たちの方がよほどいい意味でも悪い意味でもわかってくれる、受け止めてくれている。犬は偉い!
子どもと犬の関わりも、やはり私は動物の本来の姿、脅威を知る事から始め、それを出せないためにはどうしたことが必要でを学び、その後適切な接し方で、犬が安心できたのはあなたが頑張った、理解してあげたからだよって褒めてあげられたら、子どもも犬も共に相互理解の関係が築けます。
高齢者が犬を迎えることも賛否両論あると思います。
私は現場でそうした高齢の飼い主さんと協力しあって育てることを実践しています。
高齢者にとって犬と暮らすメリットもあるけど、それだけしか言わないのは無責任だと思う。もしくは儲けたいのか?
儲けるのではなく、儲かるは大切だと思う。信者が先見の利益を得られるから繰り返し利用していただけるのは良い儲かるだと思う。
儲かるは信者となっている。家電メーカー、携帯メーカー、車メーカーなど、皆さんは何等かの信者です。
それがいいと信じている者です。そうすると儲かるのです。
しかし、相手に嘘をついて、今だけの利益を与えて堕落させることで依存心を高め、自発性を低下させ成果というゴールに歩く自力を奪って、先生がいないとできない・・とさせたら、それは儲けるになる。自分の利のために相手(信者)を蹴っていると同じになる。
犬は可愛いけれど、学習力が高く放っておくわけにはいきません。
自分の何か資源を守る、生命維持のために攻撃はするのが正常です。
色々理想論はあるけど、私はその迎えようとしている方が本当にその犬を扱えるだけの体力、理解力、認知力があるのか?を考えないと、危険な状態の犬の改善は、非常にシビアなことなのに、伝わらない、理解できない、教える根気も体力もないとなった時、「無理」なことをしていることになります。
トレーナーに振って、飼い主さんに教えてと言われたり、トレーニングで・・と言われても魔法使いじゃない。
その方が理解し、実行できる状態でなければ、犬を迎えるということは人間にも犬にもよくなく、被害者を増やすことになる。
飼えるシステムを作ろうとしているけど、実際、福祉を考えた時に果たしてご高齢の方で、本当に教育やマネージメント、エンリッチメント、メンテナンスができない人に、サポートもできない。
私は教えられない現実に直面してて、危機感を感じているけど、メリットに浮かれて、デメリットを知らない、リスクを無視した推進ほど無責任で危険なことはない。預かればいい・・飼い主さんから離してトレーニングした時点で、犬は少なくとも本当ではないが疑似捨て犬と同じ状況になり、かなりの不安とストレスを抱える。飼い主さんから離された=棄てられたと同じになり、心の傷となってしまうことも少なくない。
だから、私は大変でも飼い主さんが教え、ケアしてもらうために一緒に通い、一緒に学ぶスタイルにこだわっている。
それができないのなら、無理は無理と知ることが大切だからです。
犬のケアはかなりの根気と工夫、そして勉強や実践が必要で、犬と暮らすということはかなりの負担です。
トレーニングせずに、おとなしく飼えたらいいとなったら、それは福祉のエンリッチメントやマネージメント、トレーニングを奪った福祉に反したことになるし、安全のための動物福祉が損なわれたら、人間の福祉も損なわれるのです。
90代でも理解力もあり、相手を受容し、伝えること、教えることができる人もいましたので、高齢者だからダメとは言えない。
間違いなく、筋力の弱った女性がラブラドールやシェパード、ドーベルマンを飼うことは、事故を起こしてくださいと促す危険行為になる。
小さくても、管理(保護)ができる人のメンタル力が弱ければ、かわいそうと何でも要求どおりにさせてしまい、その犬は思い通りにならない苦痛を感じやすくなってトラブルを起こすように育ててしまう。
年齢に関係なく、かっこいいとか憧れ、かわいいだけで犬を迎えるのはデメリットでしかない。
癒しになるとか、病気にかかりにくくなるというけれど、耐えがたい攻撃を受ける生活で緊張と恐怖が続けば、それは逆に免疫低下やストレス増大になる。癒しも得られないし、病気しやすくなる。
これがメリットというデメリットをうむ日本の今の現象に多い。
デメリットを受け入れ、それに適応できる状態であって、初めてメリットは得られる。
メリットだけで始めても、デメリットを背負い適応できなければ犠牲者が相互でなってしまう。
安易に犬という命を迎えることをサポートする支援が、その人も犬も苦しめる結果に繋がるデメリットをどうサポートするか?を考えないと提供者だけが良いことをしているという自己満足と目新しいことをすれば、注目される名誉欲を満たすメリットしかなくなってしまう。
私はデメリットに適応できない人のデメリットを背負うことが多い。
デメリットに適応できる人ならば、三者ともメリットという未来を迎えることできるし、得られる。
犬いう動物に対して過信している、もしくは自らがその危険を背負うリスクから逃げる人かもしれない。
誰のためにもならず、最終的にメリットを提供したその人がデメリットを背負うことになる。
困ったら、誰かに責任転嫁して逃げようなんて考えているのなら、あまりにもむしがよすぎる。
問題改善の指導をするということは、指導する側の心身のダメージは、依頼者以上に大きい。
それも考えず適当なことを言って、より困難を強めることも現実は多い。
指導というのは、本来はゴールに向かうまでは一人のトレーナーで行うというのはトレーニングの科学でも証明されているし、そうしないといけないとなっている。
飼い主さんにはそうしろといいながらも、実際に指導担当をしていない人が助言や指導をすることは、犬のトレーニングでも禁止ですが、人の指導でも同じです。
海外では、そうしたチーム活動やルールの認識がうまくできている。
これもデメリットを知っているからできるメリット。
日本はメリットばかりで、自分は正しいと領域を見失ってデメリットさえもわからないというデメリットが多い。
犬と暮らす・・メリットに走ってデメリットを背負うのではなく、デメリットを検討して、覚悟してできる、適応できるのなら実際に実行できる人ならメリットはできる。
無理なものは無理なのです。できることならできる。私は無理はしたくない。
無理をすると“無理矢理”させることになる。
無理矢理は相手を恐怖、脅威に落とし込んでしまう。無理にやるから。
相手を愛する、優しさはやはりデメリットと受容でき、そしてメリットへ導き歩める人です。
デメリットから逃避したいのなら、メリットも逃避することになるので、何も得られません。
今一度、デメリットを第一に考えていく選択や考えを大切にし、自分も相手も守れる人が増えていくことを願い、これからも私は前線の現場で発進していきます。
心は勉強や学問では意味がわかりません。
経験や体験してこそ、意味がわかります。
味噌汁の味を本で勉強しても、味噌の量や出汁の塩梅は食べてみないとわからない。
トレーニングも、犬のカウンセリングケアは特に心病む、心の傷を負ってこそ理解でき、意味がわかりますが、勉強では残念ながらわからないというのは、私の先生のポリシーでした。
本で学ぶよりも、実際にその体験をすることが教える人間に必要だと。
デメリットを知って、メリットの意味がわかります。
是非、本当のメリットのわかる人から指導や助言を受けられる、サポートを受けられるといいですね。
犬達もデメリットを見失ったデメリットの犠牲にしないために。
