イギリスには、家庭犬として共生をしていくための"イヌの学校"がありました。
そこは、イヌを預けて訓練するのではなく、飼い主さんがイヌを連れて通学するのが当たり前でした。
週2回、愛犬を連れて参加し、お利口とか、いい子ではなく、周囲の人に迷惑をかけないように、この子が大きくなった時に一緒に楽しめるように・・とコミュニティーのように皆集っていました。
ワクチン接種1回目が終わった子犬たちが集まる生後16週までのパピー教室から始まり、その後もグループレッスンを中心に、基本的な人間社会で暮らす上で必要な行動、そして精神面の強化などを行い、人間社会で生きるために必要な社会性教育(危険や迷惑をかけず、様々な刺激に冷静に対応できる状態)を行い、皆が安全に暮らせる社会作りがイヌの飼養者の愛情の証として当然な心構えに感動しました。
当時は、モチベーショントレーニングが主流で、おもちゃを使って誘導し、ご褒美におもちゃを与えて遊びながら教育する方法でしたが、日本の犬たちに比べて、目が輝き楽しそうな表情が印象的でした。
日本のイヌは怯え、恐怖を避けるために行動していたが、イギリスでは喜びを求めて自発的にイヌが行動していました。
また命令で言うことを聞かせるというのが多かった日本とは違い、イヌが理解しやすいハンドサインを主に、相手が理解できる方法で”教える"という姿勢も大きく違っていました。
トイレのしつけ、家での生活トレーニングも未来を見据えた方法で「叱らなくていい環境」としてサークルなどで囲われた中で最初は育て、サークルから出る時は家用のリードをつけて困った行動を経験させずに、まずは教えると前提に、フードも手や食器を手に持って与えていて、置き餌もなかった。
常に人と関わることで楽しいことに結びつくようにしてあり、イヌはそれを好んで受け入れる環境でした。
日本では、それが"可愛そう"と言われた。
でも、イギリスでは”自分の部屋やプライバシーの時間も場所もないなんてなんて可愛そうなの?"と言われる。
私も、囲いもなく失敗して叱られ、地面に押し付けられて怒鳴られている犬や悪いことをしたと叩かれている犬を見て、可愛そうに感じてた。
これは今も続いている。
クレートに入れるのは可愛そう・・だったら人間もスケルトンや檻だけのように外から丸見えの状態で安心して生活するだろうか?
なんかそれはイギリスで矛盾は解けた。
基本、可愛そうと感じないように育てていて、日本では可愛そうになる育て方をしていると思った。
こうした相手を尊重し、自分たち人間社会で生きることを受け入れてもらうという相互の姿勢こそが愛護の国と言われている一つだと思った。
気候の違いもあり、日本では年中屋外は厳しいが、室内トレーニングルームは室内生活を学ぶのにすごく大切だし、日本の気候では室内トレーニングルームが人にもイヌにも、日本にも適していると感じた。
誰かによくしてもらおうと、犬を直す、教育するという感覚ではなく、自分がいい犬に育てられる飼い主になりたいと学んでいる姿には感動した。
犬ならこの国のイヌになりたいと思った。
井の中の蛙大海を知らず・・そうならないように今も常に外に出て自己成長を続ける。
その考えもイギリスで学べた専門家として生きていく基盤を習い育った。
良い悪いや日本では・・と終わるのではなく、人間としての姿勢を今一度見直すことは必要だと思う。
同じ地球に暮らす人間であることは変わりませんから。
私は様々な視点を大切に今も客観的にとらえるトレーニングを続けている。
また色んな違いをここで書いていこうと思います。
イヌを直さずに問題を解決する・・の基盤の一つとなったのがイヌの学校でした。
この子直りますか?そんな言葉が死語になることを願い、活動している。
私の不足を補うため、スキルアップのために教えてもらえますか?と愛犬と来て、自分の変化や成長に目を向ける飼い主さんが増えたら、飼い主さんが一番楽しいと思います。
日本にも人間社会で共生するためにイヌも学校に一緒に通学する社会にしたいのが目標です。
イヌも人間社会で暮らすための心を育んでもらえる学校で、育ててもらえる愛護の文化を築きたい。
