毎日、毎日自分のできることを懸命に歩いてきたら、ふと14年。
でも、大きく変化していることを感じながら歩いてきました。
犬の殺処分の問題が表面化し、最近では数は着々と減少傾向になっています。
これには、表には出てこない影の本当に努力されている、活動されている方達のお陰であることを忘れてはなりません。
最近、飼う方の意識に違和感を感じることがあります。
「保健所に連れていけば殺されるから誰かに・・・」
殺さなければいいのでしょうか?
私はこの考え方はもっと怖いのではとも思っています。
自分が迎えておきながら、問題が起こるような状況に自らがしておきながら、咬むや吠えるという結果で自分の予想と違ったから誰かにもらってもらおうというのは、あまりにもひどいことだと思います。
咬むイヌ、吠える犬を迎える方の気持ちを考えたら、逆に申し訳なくて渡せないはず。
しかし、平気でこの咬むイヌを誰かにもらってもらえないか?という相談が後を絶たない。
ふざけるな!と言いたくなる。
殺すのはかわいそうだからと、何の罪もない犬と迎える人が苦しむような状態で渡すことは、立派な
”放棄”だと私は思います。
”遺棄罪”と変わらないと思うのです。
保護してくださり、譲渡活動者の日々の想いと苦悩は、まったく逆に働いてしまっていることを私達はどうにか伝えていかないといけないと感じています。
簡単に誰かにもらってもらって・・ですっきりしたでは、この後そのイヌを面倒見てくださっている方への配慮、志もなく、本当に非常識なことが「良いこと、良い判断」として「譲渡」という手段になりつつあることに警鐘を鳴らさなければと思っています。
譲渡はやむなく理由で、どうしても飼えない方の手段です。
突然の交通事故で命を失った。
大病で動けなくなってしまった。
それでも、犬を迎える時にそうしたことも想定して、迎えてもらう人がいるかどうか?
そこまで考えて迎えるべきなのです。
私も引っ越しをしていますが、犬の飼える場所を借りて生活します。
そうした選択が今はあるのに、引っ越しで飼えないなんてそれはどうかとも思います。
家族の一員は飾り文句であって、まだ本当に家族の一員になっている犬はほんの一部だと思います。
命の育みを必要としている幼き命を育てるには、”親”が必要なのです。
”癒し”や”かわいい”という人間の都合や欲を満たすことの前に”育み”を必要としていることを忘れないでください。
そして育児は、苦労がつきもの。
でもその苦悩を共に乗り越えた者同士に初めて信頼という深き絆で結ばれるのです。
簡単に信頼が得られるのなら、簡単に壊れるでしょう。
その悩み苦しむ時間が、育児の楽しさであり、幸せなのです。
育てきった時の安堵と共に寂しさもありますが、自立できた子を眺めた時。
初めて”癒される”のではないでしょうか?
赤ちゃんも、子犬も、成犬も、皆体の育みと心の育みが必要ですが、最近は心の育みが忘れられてしまっています。
今一度、心育て、彷徨うことなく生きられる命に育てるのが人間愛であることを思い出してください。
生き殺しで苦しみ続かせるヘビの生殺しのような今の人とイヌとの共生は、今すぐ見直し、親が今一度親力を養うためのトレーニングを受ける時代だと思います。
少なくとも私は、”親救えば、子救われる”という思いで、親力を育てる御手伝いをさせて頂いています。
苦労を乗り越えて親になれたとき、子も成犬として犬になれるのです。
命育てられる社会を目指して、私は取り組みたいと思います。
