山を見ていると癒される。
私は8カ月間、駒ケ岳、仙丈ヶ岳を眺めて駒ケ根で暮らした日々で感じてた。
しかし、毎日のように飛んでいくヘリコプター。
遭難者を助けるためのヘリ。
山に憧れる・・癒しを求める。
しかし、山をなめて遊び感覚で登山すること。
それは無謀に等しいし、危険が伴う。
イヌをみていると本当に愛くるしくて癒される。
しかし、イヌを見ているのと自分が育てるのでは全然違う。
育てるということを癒しなんて考えていたら、事故が起きる。
最近はイヌに咬まれて、保健所だ、誰かに・・なんて無責任なことを言う人もいるが、実際にイヌの育て方を適切に行えばそうした事故は起きない。
山の登り方を専門家から指導を受けて、事故を起こさないこと、命を落とさないことが山への敬意であり、ルールであるように、イヌも同じであると思う。
自然・動物・・人間はあまりにも自分たちの悦楽を優先させて、敬意や脅威を忘れてしまってるように思う。
それは、自然や動物への冒涜でもある。
人間のために自然がある、動物がいるのではなく、その逆のような気がする。
イヌや山を自分たちの都合に合わせるのではなく、自分たちがもっと山やイヌのことを知る、そして我流ではく安全のために専門家の意見や習うということが必要である。
それはイコール自分を守る、安全のためになる。
今は何でも流行と命や自然までも、自分たちの悦楽のために利用しようとするその心を見直す時ではないだろうか?
私は、イヌをしつけるとか、暮らす前に、もっと育て方、生活環境を学び受け入れ、それを実行することから始めるべきだと思うのです。
私達専門家は優れているのではなく、そうした相手の習性を尊重し、基本通りに行っているだけで、それは相手への配慮であり、自分自身を守るためでもあるのです。
相手は、イヌだけでなく、その周囲のすべてを意味します。
少し、簡単なぬいぐるみのような玩具的になっていることに危惧を感じる。
イヌは飼う方のエゴを満たす、癒し、楽しみのために生きてるのではない。
イヌはイヌとして人間と生きていく命を授かっている。
その命をもっと大切に扱うこと・・それが愛犬家であり、相手のことを知ってあげる実行だと思います。命を大切にする・・それは自分自身の命を大切にする本当の思いやりの共育になると思うのです。
山は美しく、癒される。しかし気軽に近寄り楽しむ場所ではない。
山を怒らせてはならない、失礼があってはならない。
同じく、イヌも同じではなかろうか?
