前回まで方向を錯覚していて、
間違いがあるので訂正してい
ます。よかったらもう一度見
てください。
誠に申し訳ないです。
前回の続きです。
模擬墨俣一夜城は天守の
付櫓から入城できて、内
部は資料館になっていま
す。入館料は200円です。
城の建築はバブル期の景
気が良かった時代で、最
近のことです。平成3年4
月に開館しています。
内部は撮影禁止になって
いて、最上階のみ撮影が
出来ます。この墨俣一夜
城(大垣市墨俣歴史資料
館)も大垣城の設計図を
基に造られたようで、展
示内容は『前野家古文書』
に基づいているため、展
示が不確かな資料であり、
外部に出したくないとい
う思いがあるのでしょう。
なので、ネット上に公開
された画像を数点だけ利
用しています。
上の写真にある、付櫓の
四角い窓から外を撮影し
ました。
歩いて来た橋が見えます。
雨なので観光客も少ない
です。
訂正した方向の地図です。
赤い線に沿って駐車場から
歩きました。
中世(鎌倉〜戦国時代)の木曽川は、
現在とは異なり、岐阜県各務原市から
北西方向(現在の境川・足近川の筋)
へ流れ、墨俣付近で長良川に合流す
る流路が本流でした。
1586年(天正14年)の木曽川の
「天正洪水」は、従来の北寄りの
流路から、ほぼ現在の形となる南
方(尾張平野側)へ河道を大きく
変える原因となった大災害です。
墨俣築城は永禄9年(1566年)と
言われるので、20年後には廃城に
なります。
洪水前は墨俣付近で長良川に合流
する流路がありました。(上図)
墨俣は中世の東海道と
長良川が交差する所に
あるので、交通の要衝
であったようです。
最上階の4階まで上がります。
4は「死」に繋がるので、4
階の天守は少ないです。
秀吉の出自について
「武功夜話」では秀吉は
村長の子供とされていま
す。しかし、諸説あり明
確な史実を示すことが出
来ていません。というよ
うな展示です。
秀吉と弟の秀長の豊臣兄弟の肖像画です。
過去の小説・映画では弟の秀長の活躍が
出ないものばかりでした。
墨俣一夜城の想像絵図です。
これをもとに立体のジオ
ラマが展示されていまし
た。
この元となったのは、
下の絵図です。
説明を赤字で記入しました。
ここから稲葉山城(岐阜城)への
調略や出兵がやり易いです。
稲葉山城(岐阜城)への距離は
直線で十数Kmになります。
途中の重臣数名をを調略すれば、
稲葉山城までほぼ敵なしとなり
ます。
次回は天守最上階で、最終回です。
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