前回の続きで最終回です。
B1の案内板です。
ルソー「熱帯の森の猿」
アンリ・ルソーが亡くなった
1910年に描かれた、最晩年の
ジャングル画です。
海外旅行経験のない、ルソー
は一度も本物のジャングルを
見たことがなかった。 しかし
植物園や絵本や噂の断片を組
み合わせて、この密林を作り
ました。サルは写真を見なが
ら描いています。
スーラ「グランド・ジャット島の
日曜日の午後」(2×3m)1885年
パリのセーヌ川の中州に浮かぶ、
グランド・ジャット島の様子です。
夏の日曜日の昼に、さまざまな年
齢や職業・階級の人びとが、グラ
ンド・ジャット島に集まっている
ところが描かれています。
スーラは1859年、パリに生まれま
裕福な家でした。
19歳の時にパリの美術学校に入り、
翌年の春に展覧会で初めてモネや
ドガなど印象派の絵画を観て強く
心を打たれたスーラは古い描き方
ばかり教える学校をやめ、一人で
ひたすら絵を描いて過ごしました。
そして印象派の色使いを取り入れ
ながらさらに新しい描き方を考え
出します。それは絵具を混ぜると
明度が落ちるので、混ぜ合わせず、
小さな色の点をカンバスに並べて
描く方法でした。後に点描画法と
呼ばれるようになります。
★77にある「皇帝ナポレオン一世と
皇妃ジョセフィーヌの戴冠」(1807年)
(ジャック=ルイ・ダヴィッド作)
戴冠式は、1804年12月にノートル・ダム
大聖堂で行なわれました。ナポレオンは、
市民に支持されて皇帝になったことを示
すため、冠を自分で頭に載せた。最初の
構図は、ナポレオンが頭上に冠を掲げて、
自身に戴冠しようとするものでした。
しかし絵になりにくいために、ダヴイッド
は皇帝から皇妃へ戴冠する場面を採用しま
した。画面に臨場感をもたせるために空間
は実際よりも縮小されており、人物はほぼ
等身大に措かれています。この絵画は幅が
10m近くあります。
ユダヤ人のエジプト脱出
デビット・ロバーツ
(1796年~1864年)
モーセに率いられてエジプトを出た
イスラエルの民は、不信仰と不従順
のため、約束の地に入ることを許さ
れず、40年間荒野をさまよいました。
指導者モーセの死後、後継者のヨシ
ュアに率いられて約束の地「カナン」
に入りました。カナンを次々と占領
し、定住生活を始めました。
「アレオパゴス会議のフリュネ」
ジャン=レオン・ジェロームが
1861年に製作しました。
フリュネの人生において最も有名な
出来事は裁判です。アテナイオスは、
彼女が訴えられ、恋人の一人である
雄弁家のヒュペレイデスにより弁護
されたといいます。アテナイオスは
その起訴の理由について詳細を述べ
ていないが、偽プルタルコスが、不
敬によるものであると書き残してい
ます。
判決が不利になるかと見えた時に、
ヒュペレイデスが裁判官達の同情
を得ようとフリュネの衣服を脱が
せ、胸元を顕わにした。彼女の美
しさが、裁判官達の胸を打ち、彼
らは「アプロディーテーの女預言
者であり神官」に有罪の判決を下
すことができなかった。彼らは、
フリュネを可哀想に思い、無罪を
言い渡したのである。
「エデンの園」(1900年)
ヒュー・ゴールドウィン・
リヴィエール作画ロンドン市ギルド
ホール・アート・ギャラリー蔵
傍らの女性の手がもう片方の彼の手
を包み、彼を見上げるその顔は明る
さと希望に満ちています。
雨上がりの陰鬱なロンドンの公園も、
人生の新たな旅立ちを前にした二人
にとっては幸せの “エデンの園”です。
最後は★80の叫び
ムンク「叫び」(1893年)
ノルウェーのオスロ国立美術館に所蔵さ
れて、ノルウェーの至宝になっています。
ムンクがこの絵を発表した際、当時の評
論家たちに酷評されますが、後に一転し
て、高く評価されるようになりました。
人物が大きく口を開けているので、叫ん
でいるように見えますが、この人は「周
囲から湧き出る恐怖」に怖れおののいて
耳を塞いでいるそうです。
ムンクは飲酒が過ぎて、精神を病んでい
たので、このような幻覚を見たのでしょ
う。正常な人には描けない絵画です。
ムンク(1863~1944年)肖像写真
ムンクは1863年、ノルウェーのロイテン
で生まれ、間もなく首都クリスチャニア
(現オスロ)に移ります。1868年に母
が病気で亡くなり、1877年には姉が亡
くなるという不幸に見舞われました。
1902年からはドイツを中心に活動した
が、この年、交際していたラーセンとい
う女性と口論の末、暴発したピストルで
手にけがを負いました。
1908年にコペンハーゲンの精神病院に
入院し、療養生活を送ります。。この時
にはノルウェー政府から勲章を与えら
れたり、国立美術館がムンクの作品を
購入したりして、ムンクの評価は高く
なっています。
1909年に退院するとノルウェーに戻り、
クリスチャニア大学講堂の壁画(7年で
完成)や労働者シリーズを手がけました。
精神病から回復すると、作品に良さが感
じられない状態でした。
1916年から没年まではオスロ郊外のエ
ーケリーに邸宅を買って定住します。
エーケリーの邸宅
ノルウェーの新聞はムンクを大金持ち
として書き立て、彼は施しを乞う手紙
に困惑します。また、何者かに庭の飼
い犬を撃ち殺される、若者が時間を問
わず電話や玄関の呼び鈴を鳴らす、な
どといった嫌がらせにも悩まされた。
1944年1月23日に風邪をこじらせ80歳
で亡くなりました。
現代の抽象画は、個人的にその良さ
が理解できないので、閉館時間が近
いこともあり見れませんでした。
最後にモネのイベントコーナー
で撮影しました。
ここで記念写真を撮りました。
モネの睡蓮いいですね。
次は今年の紅葉写真を2回だけ
紹介後に、大宰府・大野城跡を
紹介します。
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