みどりの木のブログ -20ページ目

みどりの木のブログ

1日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は博多から大野城までです。

 

筑前大野城は巨大なので、1日

ぐらいですべて見れるわけがな

いのです。それで有名な所を見

て回る方針です。

11月8日の午前8時に、博多に

到着しました。

 

HEARTSバスステーション博多です。

2階には ホテル & スパ 、カフェレス

トラン があります。

2階で朝食を摂りました。

2階のレストランです。

 

洋食と和食の定食があるのですが、

和食が売り切れていたので、上図

の洋定食を食べました。

 

博多駅前です。

ここから10分程度歩いた所に

レンタカーのお店があるので、

そこまで歩き、2日間レンタカ

ーを借りました。下図のよう

に博多から大野城まではかな

り離れています。

 

福岡は戦国時代までは、博多と

言いましたが、江戸時代になる

と福岡藩の領地となり、初代の

藩主:黒田長政(官兵衛の長男)

は故郷岡山にある地名:福岡と

なずけました。

この時代は縁起のいい漢字の地

名に替えることが多いです。

例えば 鶴・松・福などを使い

ました。

今は福岡市博多区として残りま

す。

レンタカーで大野城に向かいま

した。

 

先に北側の百閒石垣の方に

誘導されました。ナビゲー

ションはこちらが近いので

北口に案内したのでしょう。

①付近に行くと

 

上図①付近の百閒石垣です。

ここは谷地形なので、石垣を

築いたようです。

 

大野城のイラストです。

①が百閒石垣(約200m)です。

谷部分は石垣を積み、山部分には

版築で土塁が築かれました。

 

百閒石垣の前を流れる四王寺川です。

 

この付近には下図①にある宇美口城門

がありました。手前は四王寺林道です。

 

赤い矢印に沿って来ました。

宇美口城門は、はっきりとした場所や構造は

明らかではないのです。昭和47・48年の集中

豪雨で崩れた百間石垣の復旧工事を行ったと

き、四王寺川の川底から門の礎石が見つかっ

たことから、ここに城門があったと推定され

ています。宇美口城門で見つかった3種類の

礎石からも、掘立式から礎石式への変遷が考

えられ、太宰府口城門と同じように長い間に

建て替えをしながら使用され続けていた可能

性があります。北側の海から来た外敵が先に、

宇美口に攻めて来そうです。

この付近北側の城壁も2重になっています。

 

宇美口城門礎石と考えられる石

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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