前回の続きです。
今回は博多から大野城までです。
筑前大野城は巨大なので、1日
ぐらいですべて見れるわけがな
いのです。それで有名な所を見
て回る方針です。
11月8日の午前8時に、博多に
到着しました。
HEARTSバスステーション博多です。
2階には ホテル & スパ 、カフェレス
トラン があります。
2階で朝食を摂りました。
2階のレストランです。
洋食と和食の定食があるのですが、
和食が売り切れていたので、上図
の洋定食を食べました。
博多駅前です。
ここから10分程度歩いた所に
レンタカーのお店があるので、
そこまで歩き、2日間レンタカ
ーを借りました。下図のよう
に博多から大野城まではかな
り離れています。
福岡は戦国時代までは、博多と
言いましたが、江戸時代になる
と福岡藩の領地となり、初代の
藩主:黒田長政(官兵衛の長男)
は故郷岡山にある地名:福岡と
なずけました。
この時代は縁起のいい漢字の地
名に替えることが多いです。
例えば 鶴・松・福などを使い
ました。
今は福岡市博多区として残りま
す。
レンタカーで大野城に向かいま
した。
先に北側の百閒石垣の方に
誘導されました。ナビゲー
ションはこちらが近いので
北口に案内したのでしょう。
①付近に行くと
上図①付近の百閒石垣です。
ここは谷地形なので、石垣を
築いたようです。
大野城のイラストです。
①が百閒石垣(約200m)です。
谷部分は石垣を積み、山部分には
版築で土塁が築かれました。
百閒石垣の前を流れる四王寺川です。
この付近には下図①にある宇美口城門
がありました。手前は四王寺林道です。
赤い矢印に沿って来ました。
宇美口城門は、はっきりとした場所や構造は
明らかではないのです。昭和47・48年の集中
豪雨で崩れた百間石垣の復旧工事を行ったと
き、四王寺川の川底から門の礎石が見つかっ
たことから、ここに城門があったと推定され
ています。宇美口城門で見つかった3種類の
礎石からも、掘立式から礎石式への変遷が考
えられ、太宰府口城門と同じように長い間に
建て替えをしながら使用され続けていた可能
性があります。北側の海から来た外敵が先に、
宇美口に攻めて来そうです。
この付近北側の城壁も2重になっています。
宇美口城門礎石と考えられる石
今回はここまでで、次回に続く
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