五稜郭(日本100名城) 3 半月堡(はんげつほ)まで | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

今回は五稜郭タワーを出て

半月堡(はんげつほ)まで

です。半月堡とは下図にあ

るように、馬出のようなも

のです。

 

下図①付近です。

桜の木に2羽のカラスがいました。

 

②の現在地にある地図です。

 

仲良し2羽のカラスさんです。

 

①付近にある函館戦争供養塔です。

観光客がたいへん多いです。

 

上図①付近にある排水溝です。

五稜郭の堀の水は下図にある

亀田川から引き込みました。

 

北側の土地が高いので、北側から

水を入れて南側から排水していま

した。箱館龜田五稜郭御上水と言

い、五稜郭裏門際から約9町ほと

離れている、亀田川に堰を設けて、

檜の板で作られた箱型の樋を地下

に埋めて引き込みました。

濠の水は常に新しい水が流入し、

飲むのに適していたので、五稜郭

の北側に作られた箱館奉行所役宅

への給水、箱館奉行所への給水を

目的として亀田川から上水が引か

れました。

冬には中川嘉兵衛が結氷を切り出

し、1871年(明治4年)からこれ

を「函館氷」と銘打って京浜市場

に送り販売していました。しかし、

1890年(明治23年)五稜郭外壕

貸与規則が変更されて、競争入札

になったのをきっかけに五稜郭か

ら撤退しました。

現在の五稜郭の堀水は、毎年、秋

に水を全部抜き、翌春には川の原

水を購入し、川から五稜郭の堀に

接続された導水管から注水してお

りますが、昔のように通年で川の

水を注水し、流水させることは、

多額の費用がかかるために、難し

いそうです。

 

排水溝です。

堀水は関止められています。

 

Google地図です。

 

②の附近に行くと

 

上図②の附近です。

五稜郭跡の石碑があります。

この付近には土方や榎本な

どの解説板があります。

大鳥圭介の紹介では

 

1833年播磨の赤穂で医家に生まれ、

西洋式兵術を学び、幕府陸軍の歩兵

奉行になります。江戸城の開城後は

幕府軍の降参しない兵とともに、北

関東・東北で戦い、蝦夷地まで転戦

しています。

 

幕府軍の軍船から大砲の砲弾が、

五稜郭まで届いていたのが、驚き

だったことでしょう。これで戦意

を失ったようです。当時は最新の

アームストロング砲(ライフル砲)

が使われ出した頃でした。

 

下図①の木橋前から③方向です。

下図①の橋です。

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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