南山城(島尻大里城) 1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回からは南山王の居城であった、

南山城(島尻大里城)の紹介です。

 

 

琉球史における、三山時代に栄えた

南山王の居城跡です。地元では南山

グスクと呼ばれています。12世紀後

半に築かれ、出土した陶磁器などの

遺物から14~15世紀に栄えたグスク

です。現在は城壁と遺構の一部を残

すのみで、遺跡の大半は市立高嶺小

学校の敷地内にあります。「沖縄の

名木百選」に選ばれた、城跡内にあ

るガジュマル群生も見どころです。

  (糸満市Webページより)

 

南山城は中山の首里城から南に

10Kmほどの所にあります。

 

現地の案内板です。

14世紀頃の沖縄では「三山分立時代」

で、北山(今帰仁城)、中山(浦添城)、

南山(大里城)に王が分立していました。

この南山城は、別名「島尻大里城」と

いわれ、琉球王朝の正史「中山世譜」

によると、1429年に尚巴志によって

三山が統一される過程で最後に攻略

されたといわれる城です。

 

Google地図です。(上が北)

南山城付近の拡大図です。

遺跡の大半は市立高嶺小

学校の敷地内にあります。

大正期に城跡に小学校が

出来たため、遺跡のほと

んどが破壊されています。

 

南山城の想像図です。

「グスクへの道標」サイトから引用。

学校の建設で失われた南山城

ですが、大正時代の南山城跡

の実測図があり、それを参考

に描いた想像図です。

 

この付近の海抜は50mです。

 

上図①付近より見た復元された石垣

道路より少し高い所に

城壁が築かれています。

周辺よりも5~10m

しか高低差がありません。

今まで紹介した城と比較

して、防御力が弱い城に

なっています。

 

上図②付近から撮影しました。

南山神社の入口です。

鳥居があります。

石段を上がると

 

南山神社拝殿と奥に本殿が

見えます。昭和5年に建立

されました。

この神社には歴代の南山王

が祀られています。

 

神社のさらに奥にある南山王

の墓地です。後世ここに集め

られたそうです。遺骨はあり

ません。

石垣もほとんどが修復されて、

築き直されています。もとの

石垣は野ずら積でした。

南山の王統については諸説あ

り、史料によると四代続いた

ことになっているものが多い

です。琉球王府の史書『中山

世譜』(1701年)によると、

一代南山王(名不詳)、二代

承察渡(しょうさっと)、三代

汪応祖(おうおうそ)、 四代

他魯毎(たるみぃ)と記されて

います。

カメラを左に回すと

 

石垣の上に南山城の石碑が

あります。

 

城跡の西側は高嶺小学校の校舎

とグラウンドです。(上が北)

 

 

 

下図③付近から西方向です。

高嶺小学校の校舎とグラウンドです。

ここも南山城跡だったそうです。

 

「グスクへの道標」というサイト

からの引用です。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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