今帰仁城(日本100名城)世界遺産 10 主郭(本丸)後編 | みどりの木のブログ

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5年前の花火鑑賞を再UPしました。

PL教団の花火大会は新型コロナ

で中止となり、今年も中止です。

 

前回の続きです。

今回は今帰仁城主郭(本丸)後編です。

 

下図Yから監守来歴碑方向で、

火の神の祠と来歴碑があります。

 

 


上図Zから見た火の神の祠と

北山監守来歴碑(右側黑い石

碑です)

第二尚氏時代の北山監守一族

(尚氏)の火の神が祀られて

います。

 

解説板です。

 

 

 

 

北山監守来歴碑です。

オリジナルは今帰仁

村歴史文化センター

にあります。

 

尚巴志が琉球を統一後、旧北山国

(沖縄本島北部)の監視及び統治

を目的として設けた、琉球王国の

官職です。今帰仁城を拠点として

いました。

1665年の監守職廃止で、監守は

今帰仁から首里へと居を移してい

ました。しかし居を移したとあっ

ても、今帰仁城の管理は引き続き

同家が行っていたようです。

ところが、1742年にこの城域を

地域の住民の管理に委ねようとい

う動きがでます。そこで尚宣謨は

往事の経緯を上申し、同家は以後

も今帰仁城の管理を任されること

になった。この来歴を記した碑で

す。

 

来歴碑の碑文です。

内容は監守の歴史から始まり、

七世の向従憲が、命により首里

へ居を移すこととなったが、そ

のごもわが家が今帰仁城と旧跡

の典礼を司ってきた。しかし乾

隆7年に王府が城域を郡民に授け、

典礼も行わせようとした。そこ

でわたくし尚宣謨が往事の事情

等を奏上したところ、これまで

通りわが家が城地を管理し典礼

を司ることがゆるされた。わが

家は元祖の尚韶威から、北山を

鎮守している、この徳と功はわ

が家の子々孫々におよぶもので

ある。わたくし尚宣謨は来歴を

ここに記し不朽のものとする。 

となっています。

 

下図Ⅳ期の北山監守時代の

建物跡礎石です。

1609年の薩摩軍侵攻の時、

城は炎上しました。

監守が住まなくなってから

は、拝所として県内からの

参拝者が訪れていました。

 

第Ⅲ・Ⅳ期の解説板です。

 

主郭城壁から志慶真門郭を

見たところです。かなり低

くなっています。

 

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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