今帰仁城(日本100名城)世界遺産 1  歴史 | みどりの木のブログ

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絵図を1枚追加UPしました。

今回からは今帰仁(なきじん)城

(日本100名城)の紹介です。

初めにその歴史からです。

広さは4haもあり、首里城並みの

広さがあります。

 

歴史

 

1200年代後半に築城が始まりました。

1300年代中国の史書に琉球国北山王に、

「怕尼芝(はにじ)」「珉(みん)」「攀安

知(はんあんち)」の三王が登場します。

 

三山時代の城分布図です。

 

今帰仁城は本部石地帯にあり、

城壁は本部石で出来ています。

石灰岩が圧縮されて出来た、

固くて割れれやすい性質があ

る石灰岩です。

 

本部石(本部石灰岩)

 

この頃の沖縄本島は北部地域を北山、

中部地域を中山、南部地域を南山が

それぞれ支配した「三山鼎立の時代」

でした。北山王は今帰仁城を拠点に

沖縄島の北部を中心に支配下とし、

中国と貿易をしていました。

 

現地にある模型です。覆い屋が

無いので傷みやすいです。

連郭式の山城で、約4haの広

さがあり、首里城並みの広さで

す。主郭が一番高い場所にあり

ます。

 

今帰仁城の縄張りです。

 

パンフレットにある絵図です。


しかし。1416年に中山の尚巴志の

中山連合軍に攻められたとき、王様

攀安知が出陣中に、家臣による謀反

により落城しました。家臣に裏切ら

れた、北山王攀安知自刃していま

す。

 

尚巴志の肖像画です。

 

滅ぼされて北山としての歴史の幕を

閉じることになります。

その後、中山王から監守が派遣され

て、沖縄北部を管理していました。

1609年の薩摩軍侵攻で、今帰仁城

に火が放たれて炎上しています。

1665年に監守が首里に引きあげて

廃城となりました。

廃城となって以降は、人々の精神的

拠り所として、御嶽・拝所の巡礼が

ありました。

 

現地にある今帰仁城の歴史

解説板です。

城内からは中国や東南アジア、日本

などの陶磁器が多く出土しています。

2000年に世界遺産に登録されました。

2006年に日本100名城に登録され

ました。

 

Google地図の今帰仁城です。

外郭の城壁はギザギザで横矢

掛かりの出来る構造です。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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