新発田城(日本100名城) 17 清水園 大門から書院 | みどりの木のブログ

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書院の間取り想像図を追加しました。

前回の続きです。

今回は清水園の大門から書院です。

 

下図D付近です。

ここから木橋を渡り清水園に

いきます。このあたり一帯が

清水谷の地名であったため、

清水谷御殿、清水谷御座敷、

または清水谷とよばれてい

た「清水園」です。 

新発田藩が、曹洞宗高徳寺

を五十公野上新保(新発田市)

に移し、跡地に下屋敷をつく

るための整地をしたのは寛文

元年(1661)です。

棟上げが行われたのは同年6

年4月。記録による「清水谷

御座敷普請」の完了は元禄6

年(1693)11月2日です。

棟上げから完成まで、実に

27年もの歳月を費やしまし

た。

 

 

 

上図DからE方向です。

 

橋を渡った所です。

左に大門があります。

もとは家老屋敷門から知政庁門

として使われました。

右には受付があります。

 

 

 

大門です。

砂利道の奥に中門が見えます。

大門と中門を結び、新発田川に

平行して園の南端まで小砂利の

道がのびています。かつては百

間(180m)馬場とよばれて、

ここで馬術や弓術の演練が行わ

れました。

中に入り内側から見ると

 

上図FからE方向です。

大門を内側から見たところです。

この反対側は

 

下図Gにある中門が見えます。

内側は庭園になっています。

 

G付近から中門を見ると

 

Gから見た中門です。

中門は江戸初期の茶匠千宗旦の高弟:

藤村庸軒が京の黒谷・淀看の席の入口

に建てた門を新発田に運んだものとさ

れています。

カメラを右に回すと

 

GからH方向です。

 

H付近から見た書院玄関です。

中にはいると

 

玄関を入った所です。

 

入側があります。

「入側」とは縁側と座敷の間

にある廊下です。

外側の腰高障子は、雨に濡れ

る部分は板で、濡れない部分

が障子になっています。

 

解説板です。

 

玄関に続くのは囲炉裏の間

です。寒い時はここに入り

暖をとれます。

 

書院間取り想像略図です。

非公開の間もあり、分かる

範囲での間取図を作成しま

した。非公開の空白の部屋

は寝間・居間・台所と思わ

れます。

 

この反対側の奥は

 

舞台の間と言われます。

 

次の間(15畳)には、2間床を設けて

います。これは江戸初期の慣例といわ

れます。床には春慶塗がほどこされ、

床下に甕(かめ)を伏せたらしき跡が

あることから、この部屋は能舞台に

用いられたと考えられています。

 

舞台の間解説板です。

 

5年前UPのコスプレイベントと桜の花追加

しました。

今年もストフェスは開催されませんでした。

 

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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