新発田城(日本100名城) 5 本丸前帯曲輪から本丸 | みどりの木のブログ

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お城巡りから21時頃に帰りました。

遅れましたが更新します。

前回の続きです。

今回は本丸前帯曲輪から本丸です。

 

本丸前帯曲輪の土橋門跡から

本丸表門を見ると

 

土橋門跡から本丸表門方向です。

この反対側は

 

土橋門跡から土橋方向です。

 

 

表門の方に進むと

 

本丸表門が見えます。

表門は1668年の大火焼失の後、

1732年(享保17年)に再建

されています。

 

表門と旧二の丸隅櫓が内部公開

されています。冬は雪が積るの

で、公開は3月下旬から11月

30日までで、公開時間は午前

9時から午後5時までです。

 

 

2階櫓は本丸辰巳櫓です。

本丸前に帯曲輪が続きます。

カメラを左に回すと

 

 

 

国重要文化財の本丸表門です。

石垣の上には塀がありました。

 

この反対側付近には

 

売店の安兵衛茶屋があります。

少し休憩しました。

附近には堀部安兵衛の

銅像もあります。

 

堀部安兵衛の銅像があります。

 

1669年5月に大地震が起こり、

石垣の大半が崩れました。それま

での乱積から「切込ハギ布積み」

に改修されました。石工職人は

江戸から呼んで、石は五十公野で

産出された「古寺石」という硬い

粗粒玄武岩を使用しています。

 

この石橋はかなり古いものですね。

 

明治初期の表門・辰巳櫓の古写真です。

まだ石橋ではなく木橋でした。

 

辰巳櫓前で記念写真を撮影しました。

 

平成16年7月に復元された

辰巳櫓です。

辰巳櫓前で記念撮影しました。

 

赤穂義士堀部安兵衛は1670

年に新発田の旧外ヶ輪に生まれ

ました。父は藩士の中山弥次右

衛門でした。父はこの辰巳櫓の

管理責任者でしたが、失火の責

任をとり、浪人となりました。

 

上が北の重ね地図です。

右端の黄枠に父の屋敷があります。

屋敷は藩所有なので立ち退きます。

 

堀部安兵衛生誕の地石碑です。

 

その後父はすぐに亡くなります。

安兵衛は苦労しながら18歳で、

家名再興のために江戸に出ます。

高田馬場での決闘で、助太刀を

して名を上げました。そして、

播州赤穂藩浅野家に仕官が決ま

りました。しかし、松の廊下事

件で浅野家が取り潰しとなりま

す。浅野内匠頭の仇討ちでは、

1703年1月30日に赤穂浪

士四十七名が吉良邸に討ち入り

、吉良上野介を打ち取りました。

結果として幕府から切腹の処罰

が下りました。「忠臣蔵」で有

名です。こんなことがあると、

さらに武士はサラリーマン化

していきます。

 

 

今回はここまでで、次回につづく

 

5年前にUPした梅の花公園です。

 

 

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