長岡城 6 河井継之助記念館 | みどりの木のブログ

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前回の続きです。

今回は河井継之助記念館です。

 

河井継之助の記念館です。

ここが幕末の河井継之助屋敷跡です。

道が赤いのは、積雪の時に融雪のた

めに流す地下水に鉄分があるためだ

そうです。

 

ここが玄関です。

河井継之助低阯の石碑があります。

場所は

 

赤枠で囲ったところです。

 

江戸時代との重ね図で見ると

左端の赤丸の位置です。

 

明治維新後の河井継之助屋敷跡

古写真です。

庭には河井継之助の号である

「蒼竜窟」の由来となった、

2本の松がありました。

 

記念館のポスターです。

 

今回は館内の展示品の一部を

紹介します。

 

河井継之助の像です。

河井継之助の号である「蒼竜窟」と

写真足元にあります。

 

幕末の長岡藩指導者の屋敷

家老山本帯刀は降伏せずに、

24歳で戦死したので、後

に山本五十六が山本家を継

ぎました。

 

牧野藩の藩旗「五間梯子」と

牧野家家紋の「三つ柏」です。

「五間梯子」の由来は戦国時代、

敵に追われていた牧野の殿様は

、領民の家の納屋に匿ってもら

いました。このとき領民は機転

を利かせ、まるで何事も無かっ

たかのように梯子を納屋の扉に

立てかけておきました。
敵の追手はこれを見て誰もいな

いと騙されて、殿様は無事逃れ

ました。このことから藩旗とな

りました。長岡駅の現在の駅舎

はこの五間梯子をもとにデザイ

ンされています。

牧野家家紋の「三つ柏」は、

柏(かしわ)の葉は古代より神

の供物を盛るための器として用

いられていたため神聖視されて

いました。また、春の新芽が出

るまで葉を落とさないことから

「代が途切れない、家が続く」

として公家、武家に愛されて、

信仰的な意味と子孫繁栄の願

いから家紋として用いられま

した。

 

展示されているガトリング砲の模型

 

解説板です。

 

正面から見たガトリング砲です。

 

官軍と峠での戦いに勝つのですが、

下図③で官軍が信濃川を渡河して

長岡城は落城しますが、下図右上

の八丁沖の沼地を、藩士約700名

で夜中に渡河して、奇襲攻撃で長

岡城を取り戻しますが、4日後再

び奪われます。この戦いでは河井

継之助が膝を銃で撃たれて破傷風

になります。

 

③から官軍が信濃川を渡河

してくるとは考えていませ

んでした。

 

YouTubeから去年公開された

河井継之助の動画(約15分)

 

 

継之助終焉の間です。

会津に向かう途中ここで

亡くなりました。

 

江戸時代から残る記念館の庭です。

 

今回はここまでで、次回につづく

 

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