ネコの写真追加したので再UPしました。
前回の続きです。
今回は下曲輪から桜山神社です。
下図①付近から鶴ヶ池方向です。
手前の道は土橋です。
上図②付近から⑥方向です。
カメラを右に回すと
亀が池があります。
どちらの池も江戸時代は
盛岡城の堀でした。
下図で見ると下曲輪の入
口には枡形があったよう
ですね。現在は撤去され
ています。
前回もUPした下図②にある
岩手公園石碑です。
この付近が枡形跡ですね。
残念ですが車両通行の障害
になるので撤去されたので
しょう。
②から③の時鐘の方に歩きました。
左の池は堀の鶴ヶ池です。
③付近から見た時鐘です。
解説板を拡大すると
南部家は九戸城から移転して
きたので、盛岡に移住した人
達が故郷を懐かしんで、盛岡
にも三戸町を造りました。
この鐘はその三戸町にあった
ものです。
4代目藩主の南部重信時代に、
盛岡藩御釜師の釜屋五郎八は
江戸で召し抱えられています。
大工 小泉五郎藤原清則の銘
で、この鐘を造りました。
今に続く南部釜、南部鉄瓶
の元祖と称される釜師です。
明治42年に現在の場所に
設置されました。
拡大した写真です。
昭和28年(1953年)頃まで利用
されていましたので、約280年の
間盛岡の人達に時刻を知らせていま
す。
④付近から③の時鐘を見ると
右側が鶴ヶ池です。
この180度反対側は
鶴ヶ池の向こうに、
もりおか歴史文化館が見えます。
堀の右側は勘定所跡です。
下図⑤から③方向です。
江戸時代は勘定所でした
が、今は飲食街です。
⑤から⑥方向を見ると
桜山神社です。
神門横にきれいな枝垂れ桜が
咲いていました。
⑥にある桜山神社御由緒書きです。
1749年に藩主の南部利視が南部藩
初代の信直公の御神霊を勧請して、
淡路丸大明神として奉ったのが始
まりです。
南部藩初代南部信直肖像画です。
1812年(文化9年)に桜山神社
と改称しています。
下図⑥の神門から⑦の拝殿方向です。
桜祭りなので屋台の出店があります。
提灯の家紋は南部家のものです。
桜山神社にふさわしい祭りです。
拝殿⑦の所に行くと
神門横にある手水舎です。
桜の花が散って水面に浮
いています。
拝殿です。
ちらほらと参拝に来られてます。
私もここでお参りしました。
神門とその横に枝垂れ桜です。
小雨が降っています。
桜山神社が淡路丸大明神だった
頃の盛岡城の模型です。
(もりおか歴史文化館より)
現在地にあった案内板です。
本殿に行くとかわいいポーズの
にゃんこがいました。⑧付近か
ら撮影しました。
今回はここまでで、次回は
烏帽子岩からです、
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