又兵衛桜 6 道明寺の戦い 後藤又兵衛 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は明寺の戦いでの後藤又兵衛です。

 

下図⑨付近から撮影した

馬酔木と又兵衛桜です。

 

今回は⑨から⑩付近です。

 

馬酔木をズームUPしました。

 

⑨付近からの撮影です。

大勢の方が花見をしています。

 

前回来た時よりも周辺に

いろいろな花が増えています。

 

道明寺の戦いで小松山での後藤又兵衛

 



1615年5月5日真田幸村らは後藤

又兵衛基次と会合して、6日を期して

道明寺で合流し、国分において徳川方

を迎え撃つことを約します。同日夜、

後藤又兵衛は約2千8百の軍勢を率

い平野の町を出陣。
長尾街道を東進し6日未明、藤井寺

に到着しました。しかし、他の諸隊

は、予定どおり到着できません。し

かも、後藤ら豊臣方の動きは、すで

に徳川方の知るところでした。

このため基次は単独で道明寺に進出

しますが、このときすでに徳川方は

国分に入っていました。基次は後続

の諸隊を待たずに、先鋒の山田外記、

古沢満興に命じて石川を渡り、小松

山を占領させます。(下図)

 

小松山の戦い布陣図です。(上が北)

 

山田外記の旗印が山上に立った

のを見た後藤は、急ぎ本隊を小

松山に登らせました。

幕府軍は小松山に敵が布陣して

いることを知り、それを包囲

することにします。

午前4時、後藤は小松山の西

側に回り込もうとした、松倉

重政、奥田忠次勢に対し攻撃

を仕掛けます。

奥田は戦死、松倉勢も崩れか

かりますが、そこに水野勝成、

堀直寄が来援し、かろうじて

助かります。
 

徳川方の陣は水野勝成隊(約

3千8百)、本多忠政隊(約5

千)、松平忠明隊(約3千8百)、

伊達政宗隊(約1万)の合計2

万3千もの兵力でした。後ろ

に控える松平忠輝(嫁が五郎

八姫で政宗の子)部隊が本隊

です。

 

小松山を包囲した幕府軍は、

伊達政宗、松平忠明らが激し

い銃撃を加え、小松山にとり

つこうとしたので。後藤勢は

これと戦いますが、次々に

新手を繰り出す幕府軍を数度

にわたり撃退した末に、戦闘

力の限界に来たので、後藤は

負傷者らを後方に下げ、小松

山を下り、幕府軍に最後の

突撃を敢行します。

敵数隊を撃退するも、丹羽

氏信勢に側面を衝かれ立ち

往生し、さらに伊達政宗勢

の銃撃により後藤が被弾し

ます。

正午頃約8時間もの激闘の

末、後藤は戦死して後藤隊

も壊滅します。

この時に又兵衛は戦場を脱

出して逃走出来たのでしょ

か?

 

 

 

⑩付近からの撮影です。

 

下図⑪付近からの撮影です。

 

 

 

下図⑪付近からの撮影です。

 

上図⑫付近からの撮影です。

又兵衛桜と桃と黄水仙です。

 

上図⑫付近からの撮影です。

又兵衛桜と桃と黄水仙です。

 

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