昨日の続きで、今回は最終回で
旧織田屋形の文華殿までです。
下図⑧付近から見た社務所です。
紀元2600年の昭和14年(1939
年)に建設されました。
1939年は「第二次世界大戦勃発」
の年で、ドイツ軍がポーランド西部
国境を突破して、イギリス・フランス
がドイツに宣戦を布告しました。
ポーランドはソ連の侵攻も受けて、
西部をドイツ領、東部をソ連領に
分割されました。
ナチスドイツがドイツ人の移住地
を拡大する『東方帝国』の建設を
目論んで始めた戦争でした。
日本では「ノモンハン事件」が起
こり、満州軍とソ連軍が戦い日本
が負けたと言われますが、ソ連
も大きな被害を受けて、のちに
日ソ不可侵条約が結ばれました。
現在地にある案内板です。
社務所玄関です。
唐破風のある社務所玄関式台です。
社務所解説板です。
貴賓館です。
解説板です。
⑨付近から撮影した橿原神宮会館です。
赤枠の文華殿は
⑨付近から撮影した分華殿の門です。
この門の中に文華殿があります。
文華殿解説板です。
残念ながら現在は修理中なので
見えない状態でした。
この画像の玄関式台部分を
拡大すると
織田家陣屋御殿玄関式台です。
内部の様子です。
柳本小学校校舎だったので
かなり傷んでいます。
江戸時代の御殿が残るお城は、
全国でも数えるほどで、
二条城・高知城・川越城・掛川城
の4つと言われますが、幕末に
城主格となった、柳本藩の陣屋
御殿も残っています。
現存天守の数よりも少ないです。
今回はここまでで、明日からは、
織田家芝村藩陣屋址の紹介です。
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