昨日の続きです。
今回は松山地区まちかどラボです。
ここで史料を見てから登城します。
宇陀の雲海写真です。
まちかどラボで展示しています。
まちかどラボです。
この付近が大手門跡です。
開館時間は9時~17時
入館無料です。
12月29日~1月4日は休館
まちかどラボ入口です。
宇陀の古い街並み図が左端に
あります。
展示品を一部紹介します。
宇陀松山城航空写真です。
少し古い写真です。
本丸跡南側から出土した鬼瓦です。
屋根の上から、来た者を睨むように
して据えられていたようです。
その他にも出土品が展示してあり
ます。
豊臣時代の宇陀松山城です。
瓦屋根で礎石使用の建物が
経っていました。
まちかどラボが大手門付近に
あります。
豊臣時代の大手門ですが、
秋山氏時代から大手門が
あったようです。
1615年には小堀遠州が城割を
しています。短命だった宇陀松山
城です。城割をする人員が足りな
い、福島家の家臣は浪人となり、
江戸にいるので使えない、百姓
は逃げて使えないなどと書いた
手紙を残しています。
小堀遠州は造園などでも有名で
すが、いろいろな城の作事奉行
として活躍しています。唯一の
城割をしたのが、宇陀松山城で
す。
小堀遠州(1579~1647年)とは
小堀遠州の肖像画です。
茶室にたくさんの窓を作る窓萌え
な人でした。
小堀遠州は受領名で本名は小堀
政一(こぼり まさかず)です。
茶人、建築家、作庭家、書家などで
すが、とくに茶道遠州流家元です。
1604年に父:正次は関ヶ原の戦
いでの功により備中松山城を賜り、
1604年の父の死後、政一はその
遺領1万2400石を継いで、2代目
備中松山城主となります。
1608年に駿府城普請奉行となり、
普請の功により、
1609年に従五位下の遠江守に
叙任されます。それ以降は遠州と
名乗りました。
1619年に近江国浅井郡小室の
近江小室藩に移封され、小室藩
初代藩主1万1500石となりまし
た。
小堀氏の本姓は藤原氏で、遠州の
7代前に近江国坂田郡小堀村(現
:滋賀県長浜市)に居住して村名を
姓としているので、生まれ故郷で、
祖先の地近くに大名として錦を飾
る喜びの移封でした。
なので、城割された宇陀松山城
を見ることになります。
今回はここまでで、明日に続く
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