昨日の続きです。
今回は櫻井神社です。
下図⑤から④方向です。
グーグル地図です。
正面①から見た櫻井神社は
上図①から見た櫻井神社です。
最後の藩主忠興公が明治
10年に博愛社設立に私財
を投じて尽力しました。
自らも西南戦争の負傷兵
を手当てしました。
博愛社は日本赤十字社の
前身になりました。
本殿・拝殿の解説板です。
②から拝殿方向の写真は
上図②から拝殿方向です。
櫻井神社yの御祭神は櫻井
松平家の歴代当主です。
明治15年に西二の丸跡に建立
されました。
大正9年の創建当時の場所
を赤枠で囲みました。
(復元天守内にある地図です)
昭和36年(1961年)に国道の
ために遷宮して、下図にある現
在地に移転しています。
現在の櫻井神社を赤枠で
囲みました。
前の場所には国道43号
線と阪神高速が出来てい
ます。国道43号は中国
街道の拡幅と考えられ
ます。
②から見た①方向の社務所です。
手水舎ですが、コロナのため
使用中止です。
上図③から見た末社の
尼崎瓢箪山稲荷社です。
拝殿横にある火災後に
再建された本丸御殿の
料理の間屋根にあった、
棟瓦です。
最後に櫻井神社の櫻井の
由来は、奈良県の櫻井で
はなく、下図にある三河
国の櫻井です。
徳川家の分家ですが、家来
となっていました。
明治維新のときは、官軍が
来ると恭順しています。
酒造などで収入の多い領地
を幕府に召し上げられて、困
窮していたので、大坂城守護
のために戦いませんでした。
今年のNNHK大河ですが、
義経は頼朝の弟という認識
がありました。家来という思
いで、鎌倉殿の14人目と
考えていれば、あのような
悲劇にはならなかったでし
ょう。
これで尼崎城の紹介は終りです。
明日からは茨木城の紹介です。
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、読者(フォロアー)相互登録出来ます。
毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン
キングは出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ