尼崎城 16 最終回 櫻井神社 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は櫻井神社です。

 

下図⑤から④方向です。

 

グーグル地図です。

正面①から見た櫻井神社は


上図①から見た櫻井神社です。

 

最後の藩主忠興公が明治

10年に博愛社設立に私財

を投じて尽力しました。

自らも西南戦争の負傷兵

を手当てしました。

博愛社は日本赤十字社の

前身になりました。

 

本殿・拝殿の解説板です。

 

②から拝殿方向の写真は

 

上図②から拝殿方向です。

 

櫻井神社yの御祭神は櫻井

松平家の歴代当主です。

明治15年に西二の丸跡に建立

されました。

 

大正9年の創建当時の場所

を赤枠で囲みました。

(復元天守内にある地図です)

 

昭和36年(1961年)に国道の

ために遷宮して、下図にある現

在地に移転しています。

 

現在の櫻井神社を赤枠で

囲みました。

前の場所には国道43号

線と阪神高速が出来てい

ます。国道43号は中国

街道の拡幅と考えられ

ます。

 

②から見た①方向の社務所です。

 

 

手水舎ですが、コロナのため

使用中止です。

 

上図③から見た末社の

尼崎瓢箪山稲荷社です。

 

拝殿横にある火災後に

再建された本丸御殿の

料理の間屋根にあった、

棟瓦です。

 

最後に櫻井神社の櫻井の

由来は、奈良県の櫻井で

はなく、下図にある三河

国の櫻井です。

 

徳川家の分家ですが、家来

となっていました。

明治維新のときは、官軍が

来ると恭順しています。

酒造などで収入の多い領地

を幕府に召し上げられて、困

窮していたので、大坂城守護

のために戦いませんでした。

 

今年のNNHK大河ですが、

義経は頼朝の弟という認識

がありました。家来という思

いで、鎌倉殿の14人目と

考えていれば、あのような

悲劇にはならなかったでし

ょう。

 

これで尼崎城の紹介は終りです。

明日からは茨木城の紹介です。

 

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