高田城(続日本100名城) 5 三階櫓(三重櫓)1階 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は三階櫓(三重櫓)内部紹介です。

展示品の一部ですので、興味がわいた

方は是非訪問してください。

 

天守代わりの三重櫓(三階櫓)です。

層塔形の三層三階櫓です。

明治19年に取り壊されましたが、

平成5年に復元されました。

 

解説板です。

 

⑦に三重櫓があります。

 

入口です。

中に入ると

 

続日本100名城の認定書

とスタンプがあります。

 

三重櫓の解説板です。

築城当時は2重櫓でしたが、

4代藩主の松平光長時代(

26万石)に、三重櫓に改築

されました。

光長の時代は57年も続き

ましたが、跡継ぎの若様が

早死にして、次の跡継ぎで

揉めたために改易になりま

す。

 

このような見所の解説板

がたくさんあります。

一部紹介すると

 

極楽橋と枡形解説板です。

既に解説しましたが、ここでも

展示されています。

第13師団司令部が入城の時

に、極楽橋周辺の堀が埋め立

てられて、幅広の土橋になっ

ていました。

初代藩主の松平忠輝は徳川

の名字は使わないけれども、

家康の6男なので三つ葉葵

の紋を使っていたのですね。

徳川の名字も許されていた

なら、伊達政宗に共感して

海外貿易とかキリシタンを

増やすこともなかったかも

ですね。

 

照明用ライトで見ずらいです。

本丸の土塁と内堀は、当時

米沢藩主上杉景勝が担当

しています。昔住んでいた

春日山城が近いので、廃城

となった春日山城址を見に

行ったことでしょう。

春日山城下の町人はこの

高田城下に移住していまし

た。

 

三重櫓の高さが14.5mなので、

土塁が約10mの高さと実感でき

ます。

 

鬼門はギザギザの土塁でした。

櫓はないけれど、対岸(東北)

に狐丸と出丸がありました。

 

ひょうたん曲輪は蛇行した

旧関川の中州でした。

 

三ノ丸にあった二ノ宮御殿は

4代藩主光長の姪にあたる、

高松宮家の王女が住んでい

ました。

 

城下にはいろいろな職人町

があり、こんな三つ葉葵の

御紋も制作出来ました。

 

 

5年前にUPした、烏帽子形城の

紹介です。火縄銃時代の城に改

修されています。

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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