春日山城(日本100名城) 12 虎口から千貫門 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

前回で直江家に入り婿してきた武将が、

関が原の責任を取り、直江兼続は切腹

で直江家は閉門と考えていた家臣が、

直江家はまだ5千石もあるのかと、いじ

められて、直江の名字を捨てて、旧姓

に復して、金沢前田家の家臣に転出し

たのではと考えました。

120万石が30万石に減ったのだから、

兼続が生きている間は、権力者なので

文句は言えないけれど、その死後は入

り婿の武将には、きつい風当たりがあ

ったと思います。直江家断絶というの

悲しいですね。そこに「愛」はあるの

かと言いたいです。

 

今回は虎口から千貫門までです。

 

下図①付近の虎口です。

ジグザグに下ります。

 

現在地にある案内地図です。

現地に合うように改変してい

ます。

 

下のコーンがあるところ、

上図②まで下ります。

 

②で歩いた道を振り返ると

 

②から虎口を振り返って撮影しました。

虎口の入口です。

 

 

 

下りたところに解説板が2つあります。

ここは帯曲輪になっていて、通行禁止

の柵があります。

 

この虎口は敵の侵入を防ぐために

食い違いの坂道になっています。

上杉謙信より前の春日山城はここ

までが城の範囲でした。

 

帯曲輪です。

 

帯曲輪の解説板です。

上にある曲輪を取巻くように

帯曲輪があります。

 

 

 

上図虎口②から③方向です。

道の横に空堀がありますが、

この空堀の上にあがらない

と、虎口に行けない構造です。

 

空堀の解説板です。

空堀から虎口に行くための

橋が平時はありました。

戦争状態では木橋を外し

て、虎口に来られないよう

にしたのでしょう。

 

ここを振り返り撮影すると

 

振り返り撮影したところです。

堀底をそのまま進むと沢に

落ちます。

 

空堀の下にある千貫門のある

曲輪が見えます。

 

下図④付近です。

上杉小弼(すけ)入道宅阯の

石碑があります。

室町時代に越後守護家上杉

氏から分家した、上条上杉氏

出身の家臣だそうです。

 

 

さらに進むと

 

下りていくと

 

上図⑥付近から見たところです。

千貫門跡が見えます。

門跡の両側に今も土塁が残ります。

通行しているこの道は謙信の時代

には無かった道です。

この下り坂には右端に見える土塁

が続いていました。

 

千貫門の内側には広い曲輪

があります。

 

1694年の古絵図です。

(米沢市上杉博物館蔵)

冠木門形式の千貫門が

描かれています。

 

土塁で分断された千貫門跡です。

この土塁は400年前にはもっと

高かったと考えられます。

 

千貫門の解説板です。

 

 

 

上図⑧付近から⑦方向です。

 

カメラを左に回すと

 

虎口に続く空堀です。

 

この左側にも空堀があります。

 

もう1つの空堀です。

塹壕阯の石碑があります。

こちらを進むと沢に落ちます。

 

空堀の解説板です。

千貫門の内側には広い曲輪が

あり、その先に2つの空堀があ

ります。

どちらもそのまま進むと沢に落

ちます。

 

 

今回はここまでで、明日に続く

 

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