昨日の続きです。
今回は一の門から本丸銅櫓跡です。
下図⑫付近です。
本丸の周囲には土塁があります。
土塁の解説板です。
土塁の上には土塀がありました。
⑫付近から見た本丸跡です。
城址公園センターにあった
本丸の模型です。
江戸時代中期の古絵図です。
上の写真は赤丸⑫からの撮影
です。
⑫と⑬の中間地点付近に行くと
天守(三階櫓)跡が見えます。
カメラを左に回すと
本丸が土塁で囲まれている
のが分かります。
天守跡の横にある本丸御殿
間取り図です。
家康が2度来たことから、この
本丸御殿は将軍様専用となり、
以後、将軍は来ませんが、使
われずに管理されていました。
⑬の所に行くと
夫婦モッコクの木です。
昭和時代に連隊の兵士が彫り
込んでいます。幹に「昭和十八
年十月」「砲隊」といった落書き
があります。その他の新しい落
書きも彫ってありました。これ
以上落書きされないように柵で
囲われています。
この左端に土塁上へ上がる坂
があります。
土塁上に上がると
銅櫓跡方向です。
城址公園センターにある
本丸の模型です。
上図⑮付近から見た銅櫓跡です。
解説板です。
一辺10.8mの二階櫓でした。
屋根が銅瓦葺なので銅櫓です。
佐倉城を築城した土井利勝が
将軍から拝領した櫓で、江戸
城からの移築です。
もとは三層あって、三層二階
だったかもです。太田道灌が
造ったそうです。
古写真を拡大すると
銅櫓古写真です。
明治初期の写真です。
かなり傷んでいますね。
人が二階や屋根の上に
見えます。
二階の屋根の瓦が無
いので木材がむき出し
です。修理しているの
でしょうか?
土塁の端です。
木々が茂って空堀の中が
見えませんでした。
今回はここまでで、明日に続きます。
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