昨日の続きです。
今回は水戸東照宮前編です。
下図①付近です。
「常磐山」という丘の上にある
水戸東照宮の参道です。
東照宮付近の案内板です。
①のところから石段を上がると
鳥居があり正面に拝殿と本殿が
見えます。
1621年に家康の十一男で、
水戸藩の藩祖である頼房が、
父の家康を祀るために景勝
地の霊松山に創建しました。
中央に東照大権現、左に山
王権現、右に麻多羅神(唐
の青龍寺の鎮守神で、比叡
山の鎮守である日吉大神と
同神とされる)が祀られて、
創建当初は「三所権現」と
称していました。
1624年に2代将軍秀忠の
霊屋が建てられ、以降は、
歴代将軍の霊が相殿とし
て祀られました。鎮座地
名は元禄12年(1699年)
2代藩主徳川光圀によって
「常磐山」(ときわやま)に
改められました。
大照寺が別当寺となって、
創建以来仏式で祭祀が行
われていましたが、1844
年に寺院整理を進めてい
た9代藩主斉昭によって、
寺僧は罷免され、神式に
改められ、仏教色の強い
左右の配神二座が除かれ
ました。
江戸幕府の祖・家康を祀
る東照宮を寺院整理の対
象にしたために幕府など
の批判を受けて、斉昭の
隠居の一因となります。
1875年(明治8年)に、
県社に列格しました。
1936年(昭和11年)に、
水戸藩主頼房を配祀しま
した。1966年に神社本庁
の別表神社に加列されま
した。
1945年に米軍の空襲で
焼失しますが、1962年
に再建されました。
手水舎です。
背景は社務所です。
8月ですが手水舎でアジサイの
花が咲いていました。
日光ほどではないけれど、かなり豪華な
装飾がしてあります。
進むと
拝殿の賽銭箱が見えます。
拝殿前の参道の天井に梅と
ウグイスの絵があります。
徳川斉昭が愛した梅は水戸
らしいです。
斜め横から見たところです。
斜め横から見たところです。
御祭神です。
最後に徳川家康の遺訓
徳川家康の遺訓です。
この遺訓があるので、私は
個人的には戦国武将では、
徳川家康が一番好きです。
今回はここまでで、明日に続く
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