水戸城(日本100名城) 10 三ノ丸の弘道館2 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は三ノ丸の弘道館2です。

正庁・至善堂の周囲をめぐります。

今回は正門前から北柵までです。

 

下図③の所です。

正門は偉い人専用の門です。

通用門は学生専用の門です。

至善堂で恭順蟄居した徳川

慶喜は幼少時正門から入り

至善堂で特別に教育を受け

たので、ここに戻ったときは

懐かしかったと思います。

尊王の水戸学も学んでいた

ので自分に間違いはなかっ

たと安心したことでしょう。

ここに来る前は江戸寛永寺

にいて恭順蟄居していたの

ですが、寛永寺の住職は

代々京都から皇族を招いて

いたので、朝敵にされたと

きには、その人を天皇として

朝廷と戦うという仕組みが

江戸幕府にありましたから、

寛永寺にいるのはまずいと、

慶喜は考えたことでしょう。

 

④の附近に行くと

 

上図④付近です。

ここから入り⑤の方に行きます。

江戸時代には無かった入口です。

 

④から⑤方向です。

入ってすぐ左は

 

下図④から③方向です。

正門が見えています。

 

 

 

上図⑤付近です。

梅林になっていますが、下図より

文館があった所です。

 

上図⑤付近です。

梅林になっていますが、下図より

文館があった所です。

 

この反対側は

 

臥竜梅です。

塀は正庁・至善堂の周囲に

ある塀です。

 

太赤枠内が文館です。

 

 

 

下図⑥付近です。

 

 

少し先に歩くと

 

この道は発掘調査で発見された、

下図の弘道館の道を再現して

います。幅は1.5mです。

 

赤枠内が復元通路です。

 

復元通路の解説板です。

 

 

 

 

 

下図⑦付近から⑧方向です。

復元された北柵御門が見えます。

 

北柵御門の外側⑧へ行くと

 

上図⑧の外から見た北柵御門です。

食違虎口の枡形門です。

この門は掘立式でした。

 

 

解説板です。

弘道館の出入口は3か所で、

正門とその横の通用門(学生

専用の門)があり、そのほか

には下図にある、北柵御門

と南柵御門がありました。

 

南北柵御門は教職や役人

だけが通行を許されていま

した。

 

北柵御門の左右には土塁と堀

がありました。

 

背景に見える大学のような建物は

下図の茨城県三の丸庁舎です。

 

現在地にある案内板です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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