昨日の続きです。
今回は三ノ丸の弘道館2です。
正庁・至善堂の周囲をめぐります。
今回は正門前から北柵までです。
下図③の所です。
正門は偉い人専用の門です。
通用門は学生専用の門です。
至善堂で恭順蟄居した徳川
慶喜は幼少時正門から入り
至善堂で特別に教育を受け
たので、ここに戻ったときは
懐かしかったと思います。
尊王の水戸学も学んでいた
ので自分に間違いはなかっ
たと安心したことでしょう。
ここに来る前は江戸寛永寺
にいて恭順蟄居していたの
ですが、寛永寺の住職は
代々京都から皇族を招いて
いたので、朝敵にされたと
きには、その人を天皇として
朝廷と戦うという仕組みが
江戸幕府にありましたから、
寛永寺にいるのはまずいと、
慶喜は考えたことでしょう。
④の附近に行くと
上図④付近です。
ここから入り⑤の方に行きます。
江戸時代には無かった入口です。
④から⑤方向です。
入ってすぐ左は
下図④から③方向です。
正門が見えています。
上図⑤付近です。
梅林になっていますが、下図より
文館があった所です。
上図⑤付近です。
梅林になっていますが、下図より
文館があった所です。
この反対側は
臥竜梅です。
塀は正庁・至善堂の周囲に
ある塀です。
太赤枠内が文館です。
下図⑥付近です。
少し先に歩くと
この道は発掘調査で発見された、
下図の弘道館の道を再現して
います。幅は1.5mです。
赤枠内が復元通路です。
復元通路の解説板です。
下図⑦付近から⑧方向です。
復元された北柵御門が見えます。
北柵御門の外側⑧へ行くと
上図⑧の外から見た北柵御門です。
食違虎口の枡形門です。
この門は掘立式でした。
解説板です。
弘道館の出入口は3か所で、
正門とその横の通用門(学生
専用の門)があり、そのほか
には下図にある、北柵御門
と南柵御門がありました。
南北柵御門は教職や役人
だけが通行を許されていま
した。
北柵御門の左右には土塁と堀
がありました。
背景に見える大学のような建物は
下図の茨城県三の丸庁舎です。
現在地にある案内板です。
今回はここまでで、明日に続きます。
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、読者相互登録出来ます。
毎日午後8時半~9時頃に更新しています。
登録では「相手わかるように」に設定して読者登録してください。
読者様のブログは拝見に行き、「いいね」やブログ村・ブログラン
キングは出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ