会津若松城(日本100名城) 9 廊下橋から表門(鉄門)まで | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は廊下橋から表門(鉄門)までです。

 

廊下橋の枡形土塁上です。

下に降りると下図①です。

 

現在地にある本丸御殿図です。

 

上図①から茶室(麟閣)方向です。

 

上図②の方に行きます

 

右端は廊下橋の枡形石垣です。

 

下図②付近です。

石垣の向こうは帯郭です。

この仕切り石垣の上には

走長屋(多聞櫓)がありま

した。桜の花びらが地面

にかなり落ちています。

 

 

 

仕切石垣の上に走長屋が描か

れています。

 

下図③付近です。

桜の花びらが絨毯になっていました。

 

 

 

上図③付近にある萱野権兵衛石碑

 

萱野家の始祖萱野権兵衛長則は、

加藤嘉明の重臣で会津への国替

えに従い、嘉明の子の加藤明成が

石見に厳封された後に、入部した

会津藩祖の保科正之に登用され

ました。
以来萱野家は会津の重臣として、

会津藩を支えて、9代目の萱野

権兵衛長修のときに戊辰戦争が

起こり、敗戦の責任者として切腹

しました。これで藩主松平容堂と

その子供は助命されました。

彼が切腹直前に食べたときの箸

で、剣術の極意を藩士に伝授し

たそうです。

 

解説板です。

重臣の西郷頼母は逃亡したので、

切腹しませんでした。

 

この石碑の反対側には井戸が

あります。おそらく長局で使用

した井戸です。

 

長局跡にある井戸です。

 

下図茶室麟閣のしだれ桜です。

江戸時代は本丸御殿に付属して

いたので、こんな塀は無かった

のですが、中が見えなくて残念

です。

 

 

 

下図④付近から見た天守です。

 

 

 

上図④付近から見た裏門です。

江戸時代は手前に石垣があり

枡形でしたが、車両通行させる

ために撤去されました。

ここは残して、普通の石垣の

所を通路にしてほしかったです。

 

上図⑤付近の天守入口です。

 

この反対側は

 

本丸御殿跡です。

 

上図⑥付近から見た走長屋です。

ここにも井戸があります。

 

下図⑦付近から見た干飯櫓です。

 

 

 

内側から見た表門(鉄門)です。

 

解説板です。

 

表門から外(帯郭)を見たところです。

 

帯郭に出て表門を見ると

 

下図⑨付近から見た表門です。

切り込みハギの石垣がきれいです。

 

 

 

 

 

暑くなりましたね、暑中お見舞い

申し上げます。

3年前UPしたハス写真です。

少し涼しい気持ちになれます。

 

 

この後は西出丸に行きますが、

ネタ仕込みのために旅行する

ので、数日間ブログUPを休止

します。

 

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