昨日の続きです。
今回は廊下橋から表門(鉄門)までです。
廊下橋の枡形土塁上です。
下に降りると下図①です。
現在地にある本丸御殿図です。
上図①から茶室(麟閣)方向です。
上図②の方に行きます
右端は廊下橋の枡形石垣です。
下図②付近です。
石垣の向こうは帯郭です。
この仕切り石垣の上には
走長屋(多聞櫓)がありま
した。桜の花びらが地面
にかなり落ちています。
仕切石垣の上に走長屋が描か
れています。
下図③付近です。
桜の花びらが絨毯になっていました。
上図③付近にある萱野権兵衛石碑
萱野家の始祖萱野権兵衛長則は、
加藤嘉明の重臣で会津への国替
えに従い、嘉明の子の加藤明成が
石見に厳封された後に、入部した
会津藩祖の保科正之に登用され
ました。
以来萱野家は会津の重臣として、
会津藩を支えて、9代目の萱野
権兵衛長修のときに戊辰戦争が
起こり、敗戦の責任者として切腹
しました。これで藩主松平容堂と
その子供は助命されました。
彼が切腹直前に食べたときの箸
で、剣術の極意を藩士に伝授し
たそうです。
解説板です。
重臣の西郷頼母は逃亡したので、
切腹しませんでした。
この石碑の反対側には井戸が
あります。おそらく長局で使用
した井戸です。
長局跡にある井戸です。
下図茶室麟閣のしだれ桜です。
江戸時代は本丸御殿に付属して
いたので、こんな塀は無かった
のですが、中が見えなくて残念
です。
下図④付近から見た天守です。
上図④付近から見た裏門です。
江戸時代は手前に石垣があり
枡形でしたが、車両通行させる
ために撤去されました。
ここは残して、普通の石垣の
所を通路にしてほしかったです。
上図⑤付近の天守入口です。
この反対側は
本丸御殿跡です。
上図⑥付近から見た走長屋です。
ここにも井戸があります。
下図⑦付近から見た干飯櫓です。
内側から見た表門(鉄門)です。
解説板です。
表門から外(帯郭)を見たところです。
帯郭に出て表門を見ると
下図⑨付近から見た表門です。
切り込みハギの石垣がきれいです。
暑くなりましたね、暑中お見舞い
申し上げます。
3年前UPしたハス写真です。
少し涼しい気持ちになれます。
この後は西出丸に行きますが、
ネタ仕込みのために旅行する
ので、数日間ブログUPを休止
します。
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