昨日の続きです。
今回は前御門から本丸御殿跡です。
下図⑤付近から⑨方向です。
上図⑧から⑨方向です。
前御門と右が天守代わりの
三階櫓です。
この前御門は木造で復元
されています。費用は3億
5千万円だそうです。
前御門跡の石碑があります。
1808年の絵図に前御門が
描かれています。
前御門をくぐった所です。
本丸広場が見えます。
振り返り前御門を見ると
前御門を内部から見たところです。
梁の角には手斧と言われる
釘(ちょうな)で削った痕があ
ります。
上図⑩付近から見た本丸広場です。
本丸御殿がありました。
小峰が丘(標高370m)の斜面を
削り平地広場にしています。(下図)
解説板です。
松平定信が藩主時代の御殿
平面図を拡大すると
1808年の門丸御殿です。
松平家11万石の御殿です。
左端の桜門右の御書院とある
部屋が、上段の間がある謁見
の間です。
松平定信自画像です。
江戸幕府老中で陸奥国白河藩の
第3代藩主です。
徳川吉宗の孫で、1787年から
1793年まで寛政の改革を行い
ました。
御三卿の田安徳川家の初代当主
の徳川宗武の七男として生まれる。
幼い頃は病弱でした。17歳の頃、
陸奥白河藩第2代藩主:松平定邦
の養子となることが決まります。
田安家当主の兄の治察は自身に
まだ子がなかったので、これを
望まなかったが、将軍家治の命
により決定されます。
本丸御殿跡です。
カメラを右に回すと
天守代わりの復元三階櫓が
見えます。
今回はここまでで、明日に続きます。
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