黒井城 1 歴史 | みどりの木のブログ

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今回から丹波黒井城です。

初めに歴史から

 

南北朝時代

 

『嘉吉記』によると、足利尊氏に従軍し、

新田義貞軍と戦った功績により建武2年

1335年12月に丹波国春日部荘を赤松

貞範(赤松円心の次男)が拝領します。

この時に詰城として築城が始まったと考

えられます。

 

現在の黒井城跡です。

 

現地案内板よりの黒井城です、

 

赤松氏はここに代官を置いて支配しまし

た。 以後、赤松五代の約120年間この

地を統治します。

 

戦国時代

 

赤松氏に代わり現地の国人だった荻野

氏が春日部荘を横領したのではないか

と考えられています。荻野氏は一族の

赤井・葦田氏と協力しながら勢力を伸ば

していきます。

1532~1554年に荻野秋清が黒井城

主となっています。一方、赤井氏は氷上

町の後屋城を拠点としていました。赤井

時家の次男・赤井直正は荻野正元(秋清

の父)へ子供扱いとして、その居城朝日

城に預けられていました。

 

関係諸城の位置マップです。

 

赤井直正は荻野秋清へ年初の挨拶に

黒井城に出向いていますが、荻野秋清

を宴席で刺殺し黒井城を乗っ取ります。

直正は荻野十八人衆の盟主となります。

1557年に赤井直正の兄・赤井家清が

合戦の傷で死亡します。直正は家清の

幼少の子供・赤井家当主忠家の後見人

になります。

 

現地黒井城にある解説板の赤井直正

想像図です。

 

赤井直正解説板と兵主神社に奉納

された赤井直正の兜です。

 

赤井直正は悪右衛門直正と名乗り、

黒井城を拠点に戦国武将の道を歩み

始めます。 赤井直正は細川晴元派

で、晴元の没後もその政敵だった、

三好氏との戦いを続けます。

1564年に多紀郡へ侵攻します。

1565年には三好氏方の松永久秀

の弟で丹波守護代の内藤家を継い

だキリシタンの松永長頼(内藤宗勝)

を福知山市にある和久城付近で討

ち取ります。

丹波国から反細川晴元勢力を一掃

し、但馬国と丹後国へ勢力を拡大

させ戦国大名化します。

1570年に信長に拝謁し、丹波の

3郡(氷上・天田・何鹿郡)の所領

を安堵されます。

1571年に隣国但馬から山名氏が

丹波に侵入したので、撃退して逆

に但馬の竹田城まで占領し、山名

氏の本拠地まで迫ります。

山名氏が織田信長に援軍を要請

します。

 

  第1次黒井城の戦い

 

1575年に織田信長は明智光秀

を総大将に、丹波国制圧に派遣し

ます。 明智光秀が黒井城を包囲し

て2ヵ月以上経った1576年1月に、

光秀軍に参加していた、八上城の

波多野秀治が明智光秀軍の背後

をつき、光秀軍は総退却となり、

光秀は命からがら坂本まで逃げ

ます。「赤井の呼び込み戦法」と

言われています。

 

  第2次黒井城の戦い

 

赤井直正は毛利の吉川元春に、

援軍を要請していたが、援軍が

到着しないまま、1577年10月に

明智光秀は細川藤孝・細川忠興

の増援を得て、第二次丹波攻略

を開始します。

1578年3月に赤井直正(荻野

直正)が病死します。
赤井直正の子供・赤井直義は

幼少であったため、弟の3男・

赤井幸家が後見となって赤井

家を統率していました。

明智光秀は、八上城と黒井城の

分断を目的に金山城(柏原町)

を築城します。

 

 

明智光秀軍は先に波多野秀治

の八上城の攻略に取り掛かりま

す。1年余り包囲策をとり、飢餓

状態とし、光秀の母牧を人質に

入れて、波多野秀治を信長の

もとに送りますが処刑されます。

波多野氏は光秀の母を処刑し

て、同年6月に開城しました。

また、明智光秀軍は八上城包囲

中に、氷上郡の西部を羽柴秀長

に、氷上郡の東部を明智秀満に

攻略させ、黒井城の支城を押さ

え孤立無援にします。

 

黒井城とその支城図です。


そして、八上城落城から約2ヵ月

後の8月9日、黒井城もついに落

城し、光秀が丹波を平定しました。

 

  斎藤、堀尾時代

明智光秀は重臣の斎藤利三を

氷上郡に置き下屋形(興禅寺)

を陣屋として統治させます。

 

現在の興禅寺です。

 

斎藤利三の娘である春日局

(幼名・福)は1579年にこの

興禅寺で生まれます。

 

興禅寺周辺の地図です。

 

本能寺の変で織田信長を討ち

取った明智光秀ですが、山崎

の戦いで秀吉に敗れると、

明智光秀の勢力は丹波国か

ら駆逐されました。

その後、黒井城に入城したの

は羽柴秀吉の家臣で堀尾吉晴

ですが、1584年羽柴秀吉と

徳川家康の間で小牧・長久手

の戦いが起きると、赤井直正

の弟・赤井時直が黒井城で

徳川家康に通じて立て籠もり

ます。
これを最後に黒井城は廃城

になります。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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