昨日の続きです。
今回は天守代わりに造られた三階櫓跡です。
本丸から⑨三階櫓への道です。
左に行けば天守台です。
左の崖の上が天守台です。
上が北の古絵図です。
本丸から⑨の三階櫓跡に行きます。
三階櫓跡から振り返り来た道です。
この反対側は
三階櫓跡です。
石垣の石は凝灰岩です。
三階櫓跡です。
現地にある解説板です。
1階部分は10m×12mで、
高さは15.6mあったそうです。
1655年に有馬康純の修築で
完成します。28年後の1683
年に城下の武家屋敷から出た
火により焼失しました。
以後は再建されていません。
三階櫓の構造模型です。
東から見た復元想像図です。
三階櫓跡には空の先駆者後藤勇吉の
碑があります。三階櫓復元の時はこの
碑を移動する必要があります。
1896年(明治29年)に宮崎県延岡市南町
で裕福な商家の四男に生まれました。幼少
期より機械に関心を持ち、宮崎県立延岡
中学校(現:宮崎県立延岡高等学校)に入
るころには航空機に関心を持つようになり
ます。1920年に「富士号」で郷土訪問旅
行を行い、故郷に錦を飾ります。 1921年
(大正10年)に航空法が施行されると、
日本で第一号の一等操縦士・一等飛行士
の免許を取得します。
太平洋横断無着陸飛行計画の訓練中に
佐賀県で墜落して死亡します。享年33
三階櫓復元CGです。
三階櫓の石垣発掘調査図です。
地中にも石垣があり、三階櫓よりも
古い石垣と言われます。
⑨から⑦の三の丸に降ります。
三の丸に降りる坂道です。
上に三階櫓跡の石垣が見えます。
上に三階櫓跡の石垣が見えます。
こちらに行くと本丸です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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