岡城(日本100名城)3 大手門跡から城代屋敷跡まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は大手門跡から城代屋敷跡までです。

 

大手門跡です。

左にカメラを回すと

 

下図にある古大手門跡です。

藤堂高虎にアドバイスされて、大手門

を造るまでここが大手門でした。

 

現地にある案内板です。

 

大手門入った所の石段から見た

古大手門跡です。

 

大手門跡です。

右にカメラを回すと

 

本丸方向です。

左の石垣は朱印状倉跡です。

 

 

 

上図現在地の辺りです。

左に行くと西の丸ですが、

西の丸は寛文3年(1663)に重臣

屋敷が取り壊されて、新しく西の丸

御殿が造られました。

右の本丸方向に行きます。

 

本丸方向です。

この道が桜の馬場跡です。

中川家臣たちが桜を見ながら、

馬術の練習をしたのでしょう。

このような武術練習場は他の

城でも、藩主屋敷横にあるこ

とが多いのは、藩士が武術の

訓練をしているか監視するた

めと考えられます。

 

下図現在地の辺りです。

御朱印状倉入口です。

 

 

 

御朱印状倉跡石垣上から見た

中休所跡です。

 

中休所跡です。

 

さらに進むと、但見家老屋敷跡があります。

 

但見家老屋敷門跡です。

 

中川但見家老屋敷解説板です。

初代藩主の中川秀成が入部してから、

本丸完成まで仮屋敷だった所です。

中川但見は元は戸伏氏でしたが、

2代藩主から中川の姓を賜り、中川

姓を名乗りました。

 

中川但見屋敷の絵図です。

左が中川但見屋敷で、

右が城代屋敷です。

朱印状倉跡が中川但見屋敷と

一体になっていますが、入部

の頃には、ここに藩主の中川

秀成が住んでいたためでしょう。

 

 

 

中川但見屋敷跡です。

入部当初は本丸が出来るまで、

藩主屋敷でした。

 

中川但見屋敷跡です。

 

右が城代屋敷跡で、左の石垣が中川

但見屋敷跡です。

その間には上図のような通路があり

ます。

 

 

 

 

城代屋敷跡です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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